都会の川は壁に囲まれている。近づけない。水にさわれない。下手すると川面をのぞき込むこともできない。のぞけたとしても灰色の水面にメタンガスが泡を吹いていたりして、僕は後悔する。
中学の頃つりが好きだった。早朝からつりに行くと言って深夜3時に家を抜け出し、よく親に叱られた。
川づり。でも僕が拠点としていたのは淀川ではなく城北運河だった。高速道路の騒音の下を流れる、金属壁で囲まれた「川」。でも何箇所かにつり場が設けられていて、そこから糸を垂らすことができた。ヘラブナやコイがつれた。
ある日十歳くらいの少年と出会った。「にいちゃん」、少年は会うなり僕をそう呼んだ。「もっとつれるところ知ってるで。いっしょにいこうや」。
それは運河を囲んでいる壁の内側だった。さびた鉄はしごを降りると、人がようやくふたり座れるだけの突起があった。濁った水面がいつもより近く見える。
僕らは並んでつり始めた。万が一落ちても登る場所がない。壁の内側なので誰にも気づかれず流されていくだけだ。
僕の気持ちを察したのか、少年がつぶやく。
「落ちたら死ぬかなあ」
「死ぬやろな」
「落ちたらどこにいくんやろ」
「さあ、淀川まで流されていくんとちゃうか」
「にいちゃん、そうじゃなくて。死んだらどこにいくと思う?」
来週また同じ場所で会おうと約束して僕らは別れた。でもなぜか気乗りがしなくて僕は約束を破った。後日何度か同じ場所に行ってみたが、少年に会うことはなかった。
「死んだらどこに行くと思う?」
それからしばらくして僕はつりをやめた。糸を垂らしても不安のような空虚感のようなものがよぎるようになった。いまでも都会の川は苦手だ。気持ちが沈んだとき、あの運河のイメージが意味もなく心の片隅によみがえってくる。
(2006/12/6 – 2016/7/21改)