世界のしっぽとサナギの夢

うたた寝がひどい。最近特に激しい。「眠い」と感じるまもなく、ストンとあっちの世界に行ってしまう。

かろうじて意識はあるので、厳密には眠っているわけではない。しかし夢うつつである。朦朧状態である。病的である(いや、おそらく実際になんらかの病気だろう)。

具合が悪いことに、会社にいるとコレが頻発する。イカンと前後不覚で立ち上がり、パーティションに正面衝突したり足もとの書類をけちらしたりする ので、迷惑極まりない。何のおとがめもないのが不思議である。きっと変人どころか、「怪人」「奇人」あつかいで恐れられているのではあるまいか。

パソコンに向かっているうち、思考がグニャリとねじれてくる。かたづけるべき仕事は山積み、でもそれがなんだか珍妙な禅問答みたいに思えてくる。そして僕は幻覚を見る。パソコンの横に置いてあるプリンタが、巨大な伊勢エビに変形する瞬間を僕は見た。

消え入りそうな意識で考える、いま僕が見ているこの世界。僕はあるいは現実世界の背後に隠れたなんらかの「真理」を見ているのではなかろうか。

いや、それもバカな話だ。「事実」ではないにしろ、僕は何らかの「現実」を見ているはずである。白昼夢や幻覚、それは少なからずリアリティを伴っ て感じられるからそう言えるのであって。リアリティのない幻覚ならそもそも認識すらむずかしい。「無意識」を意識できないのと同様。

言葉で説明できないモノは当然説明できない。逆にこうも言える、「すべては言葉で説明できる」。科学は科学の領域においてすべてを科学的に説明できる。キリスト教はキリスト教の領域においてすべてをキリスト教的に説明できる。あたりまえの話。

でも僕は、説明できるはずもない「世界のしっぽ」、つまり真理とやらを掴もうと手を伸ばす。無駄とわかっていながら。

夢の中ではサルが言葉を話し、馬が深海にもぐり、僕は空を飛ぶ。でもそれは理解できる世界に含まれる。「事実」ではないにしろ、現実にありえたかもしれない世界だ。

僕が言う「世界のしっぽ」、それは夢と現実のはざまで一瞬だけ垣間見えることがある。

布団にもぐりこむ、意識が遠のいていく、そのとき僕は世界が分解(溶解)されていくのを感じることがある。枕は僕の頭になり、足は地面に根をはやす。1+1=無限大であり、悪魔は神であり、人間はドのシャープであり、テレビは十字軍である。

世界は混沌とし混ざり合い、僕は思う、世界の正体いまこそ垣間見た。「世界のしっぽ」を掴んだぞ。

だがその瞬間、それはとたんに再融合する。夢。それは現実とは違う世界、でもどこまでも理解可能な世界。

昆虫はサナギの中で、透明なトロトロの液体になっているらしい。羽化するときに液体が、成虫の形に再融合するというのだ。

覚醒時の現実世界でもなく、夢でも幻覚でもない。

僕が見たい世界を「サナギの夢」と呼ぼう。

そして今日も僕は仕事に行く。これでも会社のWEB担当、ライバル業者のホームページをチェックしてみる。

HTML、css、Javascript、php。サイトのソースを見ているうち、また例の夢うつつ状態に僕ははまり込んでいく。そして僕は世界の秘密のひとつを解き明かしたと思い込む。

そうか!
ウェブサイトは、製作者の心身をまるごとコピーしたものなのだ!

タグにheadやbody、そしてフッタがあるように。HTMLソースが製作者の身体を反映しているのだ! そしてその身体を性格づけているスタイルシートは、製作者の心を映しているのだ!

僕はすべてを理解した! もはやソースを見ただけで製作者を100%正確に思い描くことができる、男か女か、身長は何センチか、体重は、視力は、口癖は、好きな映画は、きのうの晩ごはんは何か、すべてはWEBのソースの中に書き込まれているのだ! まるで遺伝子のように。

「おひさしぶりです」

声をかけられ、僕は我にかえる。見ると別の事務所にいる同僚だ。

「どうしたんですか、目が赤いですよ」

そう聞かれ、5秒、6秒、考えをめぐらす。しかし結局こう答えざるを得ない。

「いや・・・・・・眠かったもんで」

さっきまで見ていた僕の世界、伝えられなくて残念だ。
でももしも、

「世界のしっぽを掴もうとしてたんです」

そんなこと言おうモンなら。

(2008/3/25)