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映画『ハラキリヤサイ』 に「自分さがし」の可能性と限界をみる

【7:00PM】

 駅前の広場。
 仕事帰りのサラリーマンやOLが足早に行き交う。
 備えつけられた巨大な仕掛け時計が動き出し、七時を告げる。陽気な電子音のメロディ。待ち合わせの人々が立ち止まり、ある人は無表情で、ある人はかすかな笑みを浮かべながらそれを見上げている。
 ひとりの女性、少女と呼ばれる年齢をわずかに過ぎた頃の若い女性が現れる。
 彼女は人込みの雑踏の中で立ち止まり、落ちつかない様子であたりを見回す。
 その眼は誰かを捜している。
 しかしそこには、誰かと待ち合わせをする時の期待の表情はない。
 憂鬱な、むしろ何かに怯えたような眼をしている。
 泣きはらした後なのか。あるいは泣き出しそうなのか。
 少し赤く腫れた眼。彼女はふと仕掛け時計のメロディに気づき、見上げる。
 機械仕掛けの人形が踊っている。
 が、まもなく人形は扉の奥の暗闇に吸い込まれて消える。電子音のメロディもかすかな余韻を残して終わる。
 再び街の騒音。
 靴音と話し声。


【7:15PM】


 駅の改札が大量の人間を吐き出し、駅前の広場にあふれる。
 待ち合わせの人々の姿はもう少ない。カップルや友達同士は楽しそうに立ち話をし、やがて歩き出し、人込みにまぎれて消えていく。
 彼女は改札前の壁にもたれて立っている。
 改札から出てくる人々の顔をひとりずつ眼で追う。
 彼女は携帯電話を取り出す。
 片手でボタンを押し、耳に当てる。
 呼び出し音が鳴る。
 しかし誰も出ない。
 彼女は何回かかけなおす。しかしやがてあきらめてカバンにしまいこむ。
 彼女の眼からは怯えが消え、代わりに憤りに似た表情が現れている。
 そして、改札から出てくる人々を、ただじっと見ている。


【7:34PM】


 彼女は駅前の広場の植え込みにすわっている。
 両脇には、仔犬をつれた老人やホームレス、髪を赤く染めた少年たち、派手なスーツを着た青年が並んですわっている。
 彼女の眼は、あいかわらず改札口を見つめている。
 携帯電話を取り出す。
 何度も何度も電話をかける。
 しかし誰も出ない。
 彼女はだんだん、本当に泣き出しそうになる。 
 改札口をじっと見つめながら、片手で眼をぬぐう。
 もう一方の手で携帯をかけ、耳にあてる。何度もそれをくりかえす。
 その眼はずっと、うらめしそうに改札口を見つめている。そして時々、眼にあふれてこぼれそうな涙をぬぐう。
 気づいているのか。気づいていないのか。
 両脇にすわる老人やホームレスは死んだような眼で真正面をじっと見つめ、若者たちは大声で馬鹿騒ぎを続けている。


【7:48PM】
 
 彼女はやはり植え込みにすわっている。
 もう改札口を見ていない。
 彼女は脱力した表情で、両脇の老人やホームレスと同じく、呆然と真正面を見つめている。
 彼女はふと、手に持った携帯に眼を落とす。思い出したようにボタンを押し、ゆっくりと耳にあてる。
 呼び出し音が鳴る。
 あきらめかけた時、彼女の表情にぱっと生気がよみがえる。
『……もしもし?』
 彼女は言う。
『いまどこにおるん?』
 気持ちの高ぶりを押し殺したような口調。
 しばらくの沈黙。
 彼女の表情から、徐々に生気がひいていき、もとの暗い顔に戻る。
『あたしなー……もう一時間くらい待ってるんやんかー』
 とまどったような小声で言う。
 若い男が数人、騒ぎながら眼の前を通り過ぎる。彼女は顔を背け、口のあたりを手で覆ってくりかえす。
『あたしなー、七時からずっと待ってるねん』
 少しトゲのある言い方に変わっている。
『え? ……そんなことわかってるやん。……うん。……うん……』
 話しながら、彼女はだんだんうつむき加減になっていく。 
『……会ってくれるくらいいいやん。もう待ってるねんから……』
 電話が切れる。
 それでも彼女は、電話を耳から離さない。
 しばらくして、彼女はようやく通話のスイッチを切る。
 眼には再び涙があふれている。
 携帯をにぎりしめ、うつむいたまま何度も何度も眼をぬぐう。
 通行人が何人かそれに気づく。
 しかし、チラリと横目で見ただけで、そのまま通り過ぎていく。


【8:00PM】


 仕掛け時計の鐘がカランと鳴り、電子音が陽気なメロディーを奏で始める。
 扉が開いて機械人形が現れ、一時間前とまったく同じ踊りをくりかえす。
 待ち合わせの人数は減ったが、あたりに響きわたるメロディーに気づいて、それでも何人かが立ち止まって仕掛け時計を見上げている。
 人込みと喧騒。
 その中に彼女の姿はない。
 彼女は駅の片隅の公衆電話コーナーにいる。
 彼女は携帯電話は使わず、財布からテレホンカードを取り出すとどこかに電話をかける。
『もしもし、あたしやけど……』
 彼女は淡々と話し始める。
『お母さんは? ……うん。……あんな、帰りちょっと遅くなりそうやねんかー』
 公衆電話の周辺は人通りが少なく、殺風景。
 電子音のメロディーが遠くで響いている。
『……いま? ……いまなー、京橋やねん。……うん。……あんなー、遅くても終電で帰るから。お母さんにそうゆーといてほしいんやんかー。……うん、勝手口のカギ持ってるから。……ひょっとしたら……もっと早く帰るかもしれへんし……』
 彼女は受話器を置く。
 遠くで仕掛け時計の音楽が鳴りやむ。
 代わりに、公衆電話はテレホンカードを唐突に吐き出し、ピーッピーッという電子音を鳴らし続ける。


【8:09PM】


 駅前の広場の片隅で、若い男ふたりがフォークギターを弾いている。
 決してうまいとは言えない。だが、良く通る声でとても楽しそうに唄っている。
 女の子やカップル、ほろ酔いのサラリーマンらが五、六人、遠巻きにして聴いている。
 彼女はその後ろのほうに立っている。
 放心したように、弾き語りをするふたりを見ている。
 一曲が終わる。
 申し訳程度の拍手がおこる。
 ギターのチューニングを合わせながら片方の男が話し出す。
 えーっと、今度寝屋川のほうでー、ライブやりますんで、よかったら聴きにきてください。チラシもありますんで、よかったら持っていってください……。
 聴いていた人たちは素知らぬふりをして、ひとり、またひとりとその場から歩き去る。
 彼女はふと我に返る。
 気がつくと誰もいなくなっている。ギターの男はそれでもカラ元気で、彼女ひとりに向かってライブの案内をしゃべり続ける。
 彼女はうろたえて後ずさりする。
 そしてそのまま急いで立ち去る。


【8:22PM】


 彼女は再び、植え込みにすわっている。
 さっきと比べて人の数は減っている。しかし少し離れて、しわくちゃのジャンパーを着た中年男や、黒い革ジャンに鎖のアクセサリーをぶらさげた男がすわっている。
 彼女は無表情のまま、両手で携帯電話をもてあそんでいる。
 か、彼女は突然手の動きを止める。
 しばらく携帯を見つめ、そして思い切ったようにボタンを押す。
 長い呼び出し音。
『……もしもし?』
 彼女は話し始める。
『あんなー……』
 言いかけるが、なかなか次の言葉が出てこない。こわばった表情。
 長い沈黙。
『……会ってほしいんやんかー……』
 言葉が出ると同時に、こらえていた感情があふれ出す。
『……やっぱり電話だけじゃわからんやん……』
 すでに涙声になっている。見る見るうちに眼に涙があふれ、うつむいたひざに、たてつづけに何粒か落ちる。
『やっぱりちゃんとなー……』
 何度も眼をぬぐう。
『ちゃんと会って説明してほしいんやんかー。……電話で急にあんなこと言われたってさー……あたしなー……納得でけへんやん……』
 声がだんだん大きくなる。周囲の人が気づきだし、何事かと彼女を見つめる。
『……じゃなくってさー。……面と向かってゆーてくれなわからんやん……。だからさー……。悪いトコあるんやったらなおすからさー……』
 彼女は電話を切る。
 両手に顔を埋める。
 涙が止まらない。
 いくらぬぐってもあふれてくる。


【8:35PM】


 彼女はまだ植え込みにすわっている。
 泣きはらした眼で宙をあおぐ。
 もう涙は出ない。
 しかし、時々思い出したようにしゃくり上げる。
 また泣き出しそうになるのを必死にこらえているようにも見える。
 突然、派手なスーツを着た男が彼女の前に立ちはだかる。
 彼女は何がおこったのか理解できず、男の顔まじまじとを見る。
 男は薄笑いを浮かべて何か話しかける。
『……えっ?』
 驚く彼女に向かって、男は大げさな身振りをしながら話し続ける。
 彼女は急に怯えた表情になり、首を横にふる。
 しかし男はそれでも話し続け、彼女の腕をつかもうとする。
 彼女は慌てて立ち上がる。
 行く手を阻もうとする男を振り払い、ついには小走りになってその場から逃げ出す。


【8:47PM】


 彼女は改札前の壁にもたれている。
 改札口へと吸い込まれていくサラリーマンやOLを、虚ろな眼で眺めている。
 もはや誰かを待っている表情ではない。
 彼女は絶望しきったような顔をしている。その眼は赤く腫れ、いまにも閉じてしまいそうに見える。
 目的もなく、行き交う人々を、ただ、見つめている。
 彼女はようやく歩き始める。
 しかし歩みは遅い。家路を急ぐ人たちが何人も彼女を追い越していく。時には彼女の背中にぶつかり、迷惑顔で追い越していく人もいる。
 売店。
 その横に設置された煙草の自動販売機。
 彼女は立ち止まる。
 上着のポケットから小銭を取り出す。
 女性向けの煙草。
 彼女は封を開け、一本くわえる。
 喫茶店のロゴ入りのマッチを取り出し、灯をつける。
 彼女は再び壁にもたれ、慣れない手つきで煙を吸い込む。
 彼女の表情は変わらない。
 二、三回吸っただけで、彼女の指から煙草が滑り落ちる。
 コンクリートのタイルの上にころがり、くすぶる。
 彼女は再び歩き始める。


【8:55PM】


 さきほどのストリートミュージシャンが、まだ歌を唄っている。
 聴いている人は誰もいない。
 彼女ひとりだけが、少し離れたところからそれを呆然と見つめている。
 ギターを肩からかけた男が、ライブのチラシを持って彼女に近づく。
 彼女は我に返る。反射的にビラを受け取る。
 男は威勢のいい声で彼女に何か質問する。
 彼女は口数少なく、小さな声でそれに答える。
 男は何か冗談を言う。
 彼女はようやく、かすかな笑みを浮かべる。
 ふたりの男は楽譜をめくると、ギターを激しく弾き始める。
 彼女は、さきほどよりも少し近い場所から、ふたりの歌を聴いている。


【9:00PM】


 ふたりの歌が終わる。
 ほぼ同時に、仕掛け時計が動き始め、メロディーが響きわたる。
 いまや、待ち合わせをする人たちの姿はない。
 行き交う通行人の数も減っている。
 彼女は、駅前の広場でくりひろげられる情景を、静かに見つめる。
 踊り出す機械人形。
 大声でふざけ合っている若者の集団。
 路上にさまようホームレス。
 肩を組みながらふたりそろって千鳥足の中年男。
 風俗店の客引き。
 ただ黙々と歩いているサラリーマン。
 野良犬。
 彼女の表情から悲しみの色は消えている。
 透き通った眼で、自分の周りの出来事を、まるで確認するかのようにひとつずつ眺める。
 小さなため息。


【9:04PM】


 彼女は改札の券売機の前にいる。
 たったいま買った切符を一枚、握っている。
 彼女は改札に向かって歩き出し、ふと、駅前の広場に眼をやる。
 彼女は思わず立ち止まる。
 人込みの中に、これまでに何度も見た男の顔がある。
 男は彼女に気づいていない。
 ふてくされたような顔をして、人込みの中に誰かを捜している。
 彼女は遠くから男を見つめる。
 彼女の表情は変わらない。
 透き通った眼。
 彼女は向き直り、改札に向かって再び歩き出す。
 改札の手前で彼女は一瞬振り返る。
 人込みにまぎれ、男の姿は消えている。
 彼女は改札を通る。
 ホームへと続く長い階段を登っていく。
 階段を歩く複数の足音。
 ホームのアナウンス。
 電車の車輪がきしむ。


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