![]() |
| |ホーム>ひきこもりっくすもくじ|制作者について|掲示板 |
ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」 |
3.お経を聞かされるの巻引越し作業は一度で終わらなかった。おおかたの荷物は友達にレンタカーで運んでもらった。しかしその後も、僕は細かい荷物を自力で運んだ。免許も車もないので大きなバッグをかついで電車でアパートに行き、一泊してはまた実家に帰ってくるということをくりかえした。 僕の手際が悪かったからでもあるが、それだけではなかった。僕のいない暮らしは親にとって初めてのことだ。母親にしんみりされるのがいやたった。泣かれでもしたら後味が悪い。まさかこの僕までおセンチな気持ちになることはありえないが、とにかく面倒だった、鬱陶しかったのだ。なるべく自然に、ふと気がついたら視界からいなくなっていたように仕向けたかった。 でも入学式まであと数日とせまり、いよいよ本格的に家を出ることになって僕は生きた心地がしなくなった。できるかぎりさりげなくコトを済ませなければならない。その日、いつもと同じように家族と夕食をとっていた僕は唐突に立ち上がって「それじゃ」と言った。ジャケットを着てリュックをかつぎ、玄関へと向かった。まるで近所に散歩にでもでかけるような雰囲気をまとった。 外に出て振り返ると玄関に母が立っていた。ドアのすきまから顔をのぞかせ、僕をじっと見つめてさびしげに笑っていた。僕はなんと言って返したのか、あるいは手でもふったのか。正直、「そんな目でオレを見るな!」と怒鳴りたかった。親心とやらは理屈ではわかっているし、感謝すべきだとも思っている。でもいいかげん奥にひっこんでくれ、いいかげんオレを自由にしてくれ! 僕は夜逃げに近い気分でその場を去った。そう、巣立ちでも旅立ちでもなく、これではまさに逃亡ではないか。 だが電車に飛び乗り、夜につつまれた僕の新天地が近づいてくるにつれ、心は少しずつまぎれていった。京都山科に着いた頃にはすっかり天下を取った気分になっていた。自由だ。これからはもう親に小言を言われることもない、勉強しろだの早く帰ってこいだのと指図されることもない。そして何よりも、目の前には無限の可能性を抱いた果てしない未来がひろがっている。 僕の部屋はボロアパートの2階、さびついた階段をあがってすぐのところにあった。ドアを開けるとただちに6畳間だった。台所スペースが区切られているわけでもなく、収納もなく、見事なまでに長方形だった。ベランダに出ると、比叡山へとつながる真っ黒な山々がすぐそこまでせまっていた。真下には畑があった。夏になると大量発生する羽虫とカエルに悩まされることになるのだが、そのときはまだ知るよしもない。風呂はなく、トイレはベランダの横にあるので、用をたすときはいちいち外に出なければならなかった。 いくつか見た物件の中からここを選んだのには理由があった。名前に惹かれたのだ。吉兆荘、それがアパートの名前だった。これから始まる生活への予感で身もだえしていた僕にとって、まさにぴったりの名前ではないか。 何もない町だった。あばら家のような銭湯と野菜ばかり並んでいるスーパー、開いているかどうかよくわからない喫茶店、そして町のどこにいても見えるファミリーレストランの回転サイン、それだけだった。ツバメだけがきびきびと、家の軒から軒へと飛び回っていた。それでも僕にとってはじゅうぶんすぎる町だった。これからこの町で体験するだろうB級青春マンガのような展開をあれこれと空想することだけで、僕は手いっぱいだった。 入学式の前の晩になって、僕はようやく現実的な問題に気づいてあわて出した。背広一式を用意していたのだが、肝心のネクタイの締め方がわからないのだ。 鏡の前で30分悪戦苦闘したすえ、ようやくそれらしい結び目ができた僕は、ネクタイをわっかのままはずしてハンガーにかけた。背広にブラシをかけ、各種手続きに必要な書類を確認して畳に並べた。しかしひとつひっかかっていることがあった。入学書類には次のような断り書きがついていた。「事前の連絡なく入学式を欠席した者は入学取り消し処分とする」。気持ちはわかるが、何もそこまで高圧的な書き方をしなくてもいいではないか。 そして翌朝、僕は寝坊した。 わっかにしたネクタイを首にかけ、僕はアパートを飛び出した。大学は静まり返っていた。ただ、大学職員が、各校舎の四隅にまるで道しるべみたいに直立不動で立っていた。 「遅れた者はあそこに並びなさい!」 職員のひとりが僕を見つけ、大声で言った。やはり高圧的な態度だ。僕は中学時代の朝礼を思い出した。生活指導の先生が校門で見張っていて、遅刻すると大声で怒鳴られ、見せしめのためにグランドのすみに並ばされた。僕は中学のときから遅刻の常習犯だった。 うかない顔をした学生が10人ばかり並んでいる列の最後尾に僕はついた。これからどうなるんだろう。まさかこのまま本当に入学取り消しになるのか。しばらくすると僕たちは体育館の裏口へと誘導された。入学式の会場だった。すでに大勢の学生が席につき、厳粛なムードに包まれている。どうやら入学取り消しにはならないらしい。僕が席につくと同時に式は始まった。 だが、式が進行するにつれ、僕の気持ちは急速に冷めていった。『冷める』というのは正確な表現ではないかもしれない。いらだちのような怒りのような。後悔に似たやるせなさのような。学生課に下宿先を探しに行ったあの一件以来、僕の中でうごめき始めていた感情だった。それが爆発的にふくれあがっていくのを感じた。 入学式会場の壁には高さ5メートルはある巨大な掛札がさがっていて、おどろおどろしいタッチで『南無阿弥陀仏』と書かれていた。コーラス隊が現れ、聖歌調にアレンジしたお経を輪唱しはじめた。袈裟を着た坊さんが壇上に上がり、長ったらしいだけで中身のないあいさつの言葉を述べた。それが終わると再びコーラス隊。『南無阿弥陀仏』の輪唱。 茶番だ、と僕は思った。くだらなかった、やってられなかった。かと言って会場をひとり飛び出していく勇気はなかった。だから僕は傍観者をよそおうことにした。目の前で展開する仰々しいセレモニーを、心の中でただひたすらあざ笑い続けた。 |
| <前 |もくじ| 次> |