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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」

6.あだ名をつけられるの巻

 こんな救いがたいほどに馬鹿げた合宿旅行だったが、それでもいくつかの成果はあった。

 ひとつは、社会学部の連中と仲良くなったことだ。ロッヂの部屋は、1階が理工学部、2階が社会学部にあてがわれていた。消灯時間と同時に1階は静まり返った。文字通り明かりが消えて真っ暗になった。クラス別に仕切られた畳部屋で、高井、高嶋、高橋に高山が五十音順に、まるでパック詰めの寿司みたいに行儀よく並んで寝息をたてている。やり切れなくなった僕は廊下に灰皿を持ち出し、ひとり煙草をふかしていた。そこへ社会学部の学生らがガヤガヤと通りがかった。

 夕食で僕に対して「生肉を食っている!」と騒ぎたてた連中だった。こんなところで何をしているのかと聞くので、みんな寝てしまって時間をもてあましているのだと答えた。すると、それなら2階に遊びにきたらいい、社会学部はまだみんな起きているから、と言う。僕は誘われるままに階段を上がった。とたんに、バラ色の空気が僕を包み込んだ。

 ここは! ここはまさにパラダイスではないか。パジャマ姿のぴちぴちした女子どもがこっちで寝そべり、あっちで走り回り、黄色い歓声を上げている。男くさい1階とは違って官能的なシャンプーの香りが充満しているぞ。そうか、理工学部とは対照的に、社会学部は女子学生の比率が異様に高いのであった。

 これをきっかけに、合宿が終わってからも僕は社会学部に出入りするようになる。もちろんそれは、単に女子が多いからという俗世間的な理由からではない。僕の大学生活に色取りを添えるために女性は必要な存在であるが、あくまでも副次的なものだ。キャンパスの芝生の陽だまりに寝そべってじゃれ合ったり、アパートの同じ布団にくるまって夜明けのコーヒーを飲むなどといった桃色の夢想にうつつを抜かしていたわけでは決してないのだ。僕が惹かれたのは、社会学部の学生らが持つ寛容な雰囲気であった。連中の思想レベルは高くない。むしろその日その日を惰性で生きている輩どもだ。合宿での2階の乱痴気騒ぎを僕はさっきパラダイスと表現したが、よくよく思えば幼稚園児の集団がはしゃいでいるのと大して変わらない。

 だが彼らは少なくとも生きていた。理工学部みたいな生ける屍の集団ではなかった。僕はうすうす気づき始めていた、自分がこの大学では非常に異質な存在であるということを。でも社会学部の連中はそんな僕をすなおに受け入れ、面白がってくれた。大学が始まってから夏までの3ヶ月間、僕は授業のとき以外はほとんど社会学部の連中とつるんでばかりいた。最後には結局、連中から排除される――いや、自ら身をひいたと言うべきか――ことになるのだが、僕は少しも恨んではいない。こんな異能な僕にここまでついて来られただけでOKと言うべきだ。感謝すらしている。

 合宿旅行の成果がもうひとつあった。

 同じく廊下でひとり煙草をふかしていたときだった。闇の中を、のそり、のそりと、巨大な影が近づいてきたかと思うと、僕の前で立ち止まった。

「坂田です」

 その影はしゃべった。身長185センチはある。太ってはいないが、まるで伐採されたばかりの丸太みたいな威圧感のある男だった。四角いメガネをかけ、突き出た口はどことなくカッパを連想させた。

「高野です」

 僕は反射的に答えた。

「機械工学科ですか」
「僕ですか。僕は機械工学科ですけど」
「そうですか。僕も機械工学科です」

 それだけだった。そして再び、闇の中へのそり、のそりと消えていった。こんな味も素っ気もないかたちで僕の目の前に登場した坂田だったが、彼はその後、僕の大学生活にとってキーパーソン的な位置づけに立つことになる。彼から特に何か影響を受けたとか、何かをしてもらったということではない。だが彼はいつだって僕の「目撃者」であり続けた。そして、やがてひきこもり始めた僕にとって彼は、自分と社会とをつなぐ唯一のパイプ役を担うことになる。

 授業が始まると同時に僕はあだ名をつけられた。理工学部でのあだ名は「ヘビー」である。なんのひねりもない、僕がことあるごとにいつも煙草をふかしていたからだ。理工学部にも話好きなやつはいる。だが会話のキャッチボールと言うにはほど遠いもので、どんなに真面目な話題であっても彼は、それを関西吉本的な「お笑い」のネタにしてしまうのだった。彼の頭の中は「ボケ」と「ツッコミ」の二元論で成り立っていた。僕が投げかける崇高なテーゼに対してすかさずツッコミを入れる彼の目は、いつも死んだように濁っていた。「ヘビー」というあだ名をつけたものたしか彼だったと思う。僕は対抗して、心の中で彼に「チンドンメーカー」という称号を授けた。略して「チンメ」である。

 社会学部では別のあだ名をつけられた。「師匠」である。これはたまたま、これまでどんなあだ名をつけられたことがあるかという話題になり、僕は中学で「師匠」というあだ名だったと言ったら、そのあだ名似合ってる、じゃあこれから「師匠」と呼ぶことにしよう、という成り行きである。たぶん僕の風貌や態度が「師匠」と呼ぶにふさわしいものでったからではないか。僕は最初面白半分で、やがて本気でそう思い込むようになった。

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