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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」 |
8.珍獣扱いされるの巻春の桜が散り終わる頃には、僕の遅刻癖はすっかり身体になじんでしまっていた。なに、いまに始まったことではない。高校・予備校時代を通し僕は一貫して遅刻魔であり続けたのだ。第一、ほとんどの講義では出欠の確認もいいかげんだった。だから僕はいつも途中からこっそりと教室にもぐりこみ、出席票にサインだけすると、あとは昼寝をするか図書館で借りた難解な専門書を開くか、ひとり抜け出して廊下で文庫本を読んですごした。 そのくせ講義は朝から晩までぎっしりと詰まっていた。学生の意志で自由にカリキュラムを組めると履修説明会では謳っていたのに、すっかりだまされた。自分の意志で選んだつもりが、あとでつき合わせてみるとみんなほとんど同じ時間割になった。単位をきちんと取得しようと思うと選択の余地が限りなく小さくなっていくカラクリだ。これぞまさに、仕組まれた自由ってやつではないか。 結果として、我が理工学部機械工学科の学生どもは常にかたまって行動していた。こっちの教室からあっちの教室へと、無秩序なかたまりとなって日が暮れるまでゾロゾロと渡り歩いた。みんな薄い皮膜の中に閉じ込められているみたいにどんよりとした表情だ。ほんの少し踏み出せばそこには本当の自由が待っているというのに、みんなどうして逃げ出さない? 気高い志があるならまだしも、惰性だけでどうしてこんな日々に耐えられるというのだ? 講義の合間、教室で無意味にだらけていたら、例のチンメ氏が唐突にこうきいてきた。 「ヘビー、彼女とかおらんのん」 こいつの魂胆はわかってる。チンメは彼女がほしくてたまらないのだ、でも自分から言い出すのも気恥ずかしいので、まずは僕にジャブをしかけてきたにちがいない。僕はただじゃまくさく、彼女ならいないとそっけない返事をしたら、案の定、 「なあ、ええコおったら紹介してえや。コンパでもええわー」 チンメは遠い目をしてつぶやいた。視線の先には女子の姿があった。理工学部に在籍する数少ない女子のひとりが5、6人の男どもに囲まれ、談笑している。彼女は美人でもなくかわいくもなくセックスアピールもないのだが、理工学部において希少価値があるというその一点において、いつも下僕の男たちをひきつれているのだった。男性からモテないとお悩みの貴女、理工学部に入りましょう。パッとしない貴女も一夜にして女王様に変身、男性陣にチヤホヤされること請け合いです。 僕はチンメの「ええコおったら紹介して」という口ぶりが気にくわなかった。いつだってそうだ、女を紹介しろ云々という話はあちこちで聞くが、いつもそこには「そこそこかわいくて性格が良ければ誰でもいいから」という軽率かつ軟派なニュアンスが感じられた。君たち恋愛をなんと心得る。それは一生に一度あるかないかの出会いによって生じる命がけの火花のようなものであるのだぞ。 でもチンメを頭ごなしに非難することもできない。彼女なら僕だってほしい。それは否定できない。僕がこの大学生活に求めているものは大きくふたつに要約できる。偉大な科学者への道をつかむこと、そしてもうひとつは『女』だ。僕の中で両者は、同じテーゼを起源に持つ生き別れの双子みたいなものだった。つまり前者は僕に宇宙の真理を垣間見せてくれるかもしれず、後者はそんな真理云々といったわずらわしい問題をすべて忘れさせてくれるかもしれないという点において。言うなれば神への渇望に対する悪魔の誘惑、信仰と涜神、エイドスに対するヒュレー ……とまあ、難しい話はやめにしよう。とにかく女だ。 チンメがそんな話を僕にふってきた理由はすぐにわかった。それは僕が、健康娘がよりどりみどりの社会学部に顔がきくからだ。 毎日僕は学生食堂をふらりと訪れる。するとそこには決まって社会学部の連中がいて、煙草をふかし無駄話をし、うんざりするほどに果てない自由をもてあましていた。連中はすでに男女5人ずつの定番の仲良しグループを形成していて、いつも同じメンバーで固まっているのだった。 僕の登場と同時に連中は「あっ、師匠や!」と声をあげる。生気を失ったその瞳は見る見る輝き、まるでイエス・キリストを出迎える十二使徒のように僕を歓迎するのだ。……とそんなに都合のいい理由ではないことは僕もよくわかっている。連中は単にひまだったのだ。何も起こらない毎日を流されてすごしている彼らにとって、僕は格好のひまつぶし、平和な学園にまぎれこんだ珍獣だった。 たとえば連中はこんなふうにして話をふってくる。 「師匠、このまえ言ってた反重力発生装置の研究、どうなった?」 すると僕は「ああアレね。いま試作機の第一号を設計中やね。設計段階でクリアすべき課題が3つあって……」と、まるでシンバルをたたくサルのおもちゃのように突然に活気づいてしゃべり出すのだ。僕はその頃、反重力発生装置だとか心を持つ人工知能だとか、新発明のアイデアを思いついてはひとりで研究していたのだった。連中は笑いながら、でも時には興味深げな表情になって聞いていた。その好奇心は彼らの無知に根ざすものかもしれなかったが、聞いてくれるだけましだ。理工学部でこんな話をしようものなら、「それって力学の○○の法則から考えて不可能なんちゃうん?」「ま、なんかできそうな気もするけど」「ふうん・・・・・・」という具合にたちまち収束してしまい、すぐに話題はファミコンだとかアニメの話に舞い戻ってしまうのだ。 だから僕は社会学部では珍獣に徹した。あることないことを面白い話にしたてて、なんとかして彼らの興味をひこうとした。いまは単なるピエロに成り下がっているかもしれないが、それでいいのだ。いつの日か連中とのあいだに真の友情が生まれるにちがいない。僕はわかっている。 時おり、理工学部と社会学部とが食堂で鉢合わせすることがあった。互いに面識はなく、離れた席にかたまってすわっている。僕はここぞとばかりに立ち上がる。「おう」と軽い驚きの声をあげ、理工学部の輪を離れて社会学部の連中にところへと歩み寄っていく。男くさいオタク学生どもの怪訝な視線、反発の視線を背中に心地よく感じながら、僕は社会学部の男女たちといかにも楽しげに立ち話をするのだった。おまえら、しっかり見ておくのだ。ファミコンやアニメの話をすることだけが大学生活ではない、これが真のキャンパスライフというものだ。 僕にとってこういうシチュエーションはたまらなく快感だった。理工学部の連中と意味もなくかたまって耐えられない時間をすごしているとき、ふとここに社会学部の連中が通りがかりはしないかと、僕はいつも待ちわびるようになった。 |
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