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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」

14.答えをつきつけられるの巻

 尾崎豊が死んだ。

 きのうの昼。そのとき僕は何をしていたか。思い出せない。昼寝でもしていたか。少なくとも昨晩、僕らが道端で尾崎を熱唱していた頃彼はすでに死んでいたことになる。尾崎がもはやこの世にいないとは夢にも思わず、馬鹿みたいに歌い続けていたのだ。

 受話器の向こうでリュウジ君は嗚咽を必死に噛み殺していた。

「僕、今日はもう行きません。遊びに行ける状況じゃないです。今日は一日、ひとり尾崎を聴きながら過ごします……」

 電話はなかば強引に切られた。僕はというと、悲しいとかそういう気分は不思議と起こらなかった。リュウジ君の泣き声だって、あまりの悲壮ぶりにかえってふき出しそうになったくらいだ。ただ、祭りのときのような妙な高揚感だけがあった。これはエライことになったぞ。なぜ死んだ? 彼ほどのカリスマミュージシャンともなれば、やはりその名に値する壮絶な死にざまだったにちがいない。

 小林君のバイト先に行く約束もほったらかして、僕は近くの駅から駅へと走りまわった。新聞を買いたかった、尾崎豊の死亡記事を読みたかったのだ。でも日曜日だったせいで駅の売店はどこも閉まっていた。本屋も何軒かあたってみたが新聞はおいていない。探しかたが悪いのか? 結局手ぶらのまま、小林君のバイト先にたどりついたときにはすでに昼をまわっていた。

 小林君はマンション工事のガードマンをしていた。プレハブでできた守衛室のドアを開けると、彼はパイプいすにふんぞりかえって退屈そうにテレビを眺めていた。僕は一歩入ったところで意味もなく立ち尽くした。疲れていたのだ。

「尾崎豊が死んだらしいぞ」唐突に言葉が出た。
「え?」
「尾崎豊やん。今朝リュウジ君に電話したら、尾崎が死んだって」
「ああ。その話なら聞きましたよ。さっきニュースでも言ってたし」

 ひょうひょうとした態度だった。ガードマンの制服を着ているぶん、かえっていつにも増してふてぶてしく見える。

「そうか、ニュースでやってたんか。で。なんで死んだん?」
「酒の飲みすぎですね」
「飲みすぎ?」
「泥酔して倒れているところを発見されて、それから半日後に死んだらしいです」

 死因は……飲みすぎ?

 数秒の間をおき、僕は空いていたパイプいすにへたりこんだ。全身から力が抜けていった。「十代の代弁者」と呼ばれた尾崎豊が。なんというしょうもない死にかたをしたのだ。これじゃ伝説にも何もならないじゃないか。

 それからは何をして遊ぶ気にもなれず、せまい守衛室でだらだらと無駄話をしてもつまらないだけで、僕は小林君に早々に別れを告げて工事現場を出た。ふと、実家に立ち寄ってから帰ろうと思い立った。親の顔も見ずに大阪をあとにすることに対して罪悪感があったわけでもないのだが、きのうから持ち歩いているギターケースがやたらと重たく、どこかで一休みしたかったのだ。

 実家の玄関を開けると、そこには以前と変わらない「家族団らん」が待ちかまえていた。一人暮らしには慣れたか、ちゃんとごはん作ってるか、帰ってくると電話してくれればごちそうを用意しておいたのに、家賃払ってるか、電気代水道代はどうか、この前おくった小包は届いたか、届いたなら連絡くらいしなさい、大学はサボらず行ってるのか。そんな母親の総攻撃を僕はなんなくやり過ごした。以前ならば鬱陶しくてたまらなかったはずなのに、いまはそれほど苦痛とは感じず、むしろほほえましい気持ちにさえなって手際良くあしらうことができた。さては僕も少し大人になったか。

 尾崎豊が死んだねえ。

 夕食の最中に、突然そんな話題が出た。一番触れられたくない話だった。わざとらしく悲しげな表情をする気にもなれなかったし、必要以上に無関心を装っても強がっているみたいでいやだった。僕は何も言わず、それでも無理やり微笑みをつくってうなずいてみせた。

 死亡記事が載っているスポーツ新聞をようやく手に入れたのは、それから数時間たった帰りの電車の中だった。夕刊なので扱いは小さかった。「26歳のカリスマ・早すぎる死」。見出しの下に、彼が死ぬまでの経緯や関係者の反応が大げさなタッチで書かれていた。くだらなかった。死にざまもくだらないし書きかたもくだらない。京都の真っ暗なアパートに帰りつき、テレビをつけたが尾崎の死を伝えるニュースはやっていなかった。僕はテレビをつけっぱなしにして眠った。

 翌朝になり、テレビは思い出したかのように騒ぎはじめた。月曜朝のワイドショー。般若みたいな目つきをした女性レポーターが野次馬よろしく発見現場をかけずりまわり、おどろおどろしい口調で実況する。同時に、どこからともなく集まった何十人ものファンの号泣する姿や、ギターを弾き泣きじゃくりながら『卒業』を熱唱する青年の姿が映し出されていた。

「いっそいまからギターかついで東京行ったろか?」

 そんな考えが頭をよぎった。でもテレビの中、あの群集にまじり肩を組み泣きながら仲良く『卒業』を合唱している自分を想像して馬鹿らしくなった。本音を言うと、彼の死をまのあたりにしても僕はいまだに悲しい気持ちになれなかったからだ。

 尾崎豊なる人物に対して僕はなんの愛着も感じなかった。彼がどんなやつかは知らない、ただ彼の歌が好きだっただけだ。いや、好きというのも少しちがう。僕は彼の歌を、人生の意味を追い求めていく思考展開パターンの一例として見ていた。

 昔は尾崎なんか聴かなかった。「盗んだバイクで走り出す」なんて、なんというフトドキなやつだと思っていた。だがあるとき実際にアルバムを聴いて考えが変わった。世間では彼の歌に影響されて学校の窓ガラスを割った輩がいたらしいが、とんだかんちがいもいいところだ。歌をじっくり聴けばわかるが、彼は「バイクを盗んで自由になった気分でいる」「学校を卒業してすべて卒業した気分になっている」そんな人間たちの馬鹿さ加減を歌にしているのだ。

 人生の意味を追求すること。そのために戦い続けること。それが彼の作品を通して一貫したスタンスだった。彼の後期の作品は一見駄作だらけのように見える。凡人ウケしそうなわかりやすいメッセージは消えうせ、難解で抽象的な言葉がまるで迷路のように入り組んでいく。でもそれがかえって僕には興味深かった。つかみどころのない魔物ととっくみあいながらそれでもなんとか言葉に言い表そうとのたうちまわっている尾崎の姿を僕は想像した。それは僕自身の姿と似ているような気がした。僕だって同じだ。僕は「宇宙の真理」を追究するために大学の理工学部に入った。僕たちは共に真理を追い求める崇高な求道者だった。科学と音楽、手段こそ違えど、僕たちはきっと同じ魔物に戦いを挑んでいるにちがいなかった。

 おまえらちゃんとそこまで理解したうえで歌っているのか? 僕はテレビの中で泣きながら歌っているファンどもに問い詰めたくなった。いったんそう考え出すと今度は無性に腹が立ってきた。なんにもわかってないくせに。単純に雰囲気にのまれて泣いているだけのくせに。初期のわかりやすいお子様向けの歌ばっかり合唱しやがって。尾崎のファンってのはそんな馬鹿どもの集まりにすぎないのか!?

 それから数日間、僕はあまり大学に行かなかった。葬式の当日は丸一日サボった。アパートにひきこもってずっとテレビを見ていた。雨の中、例のファンどもが何万人も集結し、歌い、悲しみに暮れているようすが映し出された。美空ひばりが死んだときには賛美の言葉しか吐かなかったコメンテーターどもが、今度は打って変わって「いまどきの若い連中は……」と罵り声をあげていた。僕は心の中で何度も同じ問いをなげかけていた。

 ――で? 結論はなんなん? 尾崎豊よ、あなたは人生の意味を追求し続けてきた。その答えは出たんか――?

 答えは2週間後に出た。

 大学にも熱狂的な尾崎信者がいた。社会学部のコウヘイだ。

「なんで死んでん! ほんまショックやわぁ」

 僕が「尾崎ファン」であることがわかると、コウヘイはまるで生き別れになった兄弟に再会したような表情になってすり寄ってきた。

「今度アルバムが出るらしいで。予約が殺到してるって聞いたで」

 なんということだ、尾崎は死ぬ直前に新しいアルバムを完成させていたのだ。僕らはさっそく近所のCD店で予約用紙を記入した。2週間がたち、僕はコウヘイのマンションにいた。エリコさんの「パンツ丸見え事件」があったあのマンションだ。さっき買ったばかりのアルバムのパッケージを開ける。意図的かあるいは偶然か、尾崎豊がまるで死体のように横たわっているジャケットデザイン。おそるおそるプレーヤーにかけ、1曲目がはじまると同時に僕らは無言になった。まるでお経に聞き入るかのような神妙な顔で耳を傾けた。

 最後の曲が終わると、そこには静寂だけがあった。

 ――そりゃあんまりでしょう。

 僕は思った。吐き気がした。こじんまりとした個人的な歌ばかり。聴く側にまったく目線が向いていない。まるでひとりごとのようだ。そしてその言葉のいたるところに、自虐的な怨念みたいなものが満ち満ちていた。「人間」という存在そのものに対する怨念だ。僕には尾崎がこう歌っているように聞こえた。――意味を追い求めようとするのも、自由を追い求めようとするのも、すべて人間の性(さが)なのだ。僕らはそこから決して逃れることはできない。翻弄され苦しみながら、無意味な人生を一日また一日と切り開いていくことしかできないのだ――。尾崎豊の最終回答。

 これじゃあまるで遺書ではないか。こんなことを言われて、これから「宇宙の真理」を追究しようとしている僕はこれからいったいどうしたらいいのだ。いったいどうしろというのだ。僕は、尾崎が死んでからはじめてやるせない気持ちになった。

 僕のとなりでコウヘイはしきりに首を傾げていた。たぶんあまりピンとこなかったのだろう。それでもなんとか感想を述べようと、陳腐なほめ言葉をしきりに並べていた。

 なんにもわかってないくせに。

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