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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」 |
17.断食を強いられるの巻僕は金の使い方を知らなかった。生まれてこのかた20年、手にする金といえば親から支給されるこづかい銭くらい。たまの正月に福沢諭吉先生にお目にかかっても、それにどれほどの価値があるか理解できないまま、いつのまにか親の手で積立預金通帳に印字されたただの数字にすげ変えられていた。だから僕はお金の価値自体、実感としてよくわかっていなかったのだ。 それがいまでは、毎月10万円近い大金が自動的に振り込まれてくる。いや、「自動的」という言い方はさすがに失礼だろう。それは父親が会社で血肉を注いで稼いだ給料の一部であり、母親が毎月ふるさと(大阪)の郵便局窓口に足を運んで「都会(滋賀)の大学で学業に勤しんでいる息子のために」と振り込んでくれているありがたいお金なのだ。かたじけない。感謝感謝。ここは感謝しておくしかない。でもやっぱり実感はなかった。だが実感がわかないくらいの大金を手にしている、ということくらいは理解できた。僕はまるで天下を取った大富豪になったような気分で、金を湯水のごとく使いまくった。 ……と言いたいところだが、僕は贅沢のしかたもよく知らなかった。シュークリームを大量に買って死ぬほど食べるとか、ファミリーレストランでハンバーグステーキセットとチョコレートパフェとを同時に注文するとか、そういう些細な贅沢はひとつずつ実現させていった。でもそれだけだ。別に金持ちのぼんぼんみたいな豪勢な使い方はしていない。 ところが口座の残高は不気味なほどのいきおいでどんどん減っていく。なぜだ。最近飲み会が多いからか。でもたかが知れている。思い当たるふしがない。いつだってそうだ、たとえば休日にひとりで四条にでかけるとする。こんな僕でも一応シミュレーションをする。まず最初にマクドで昼飯を食べて、丸善で本でも買い、喫茶店でひたすら読書にふけろう。交通費込みで3千円もあればじゅうぶんか。ところが実際にでかけ、夕方になってふと気がつくと財布にあった1万円はいつのまにか消え失せ、帰りの電車賃になんとかたりるくらいの小銭がポケットの底でチャラチャラと悲しげな音をたてているのだった。途中でゲームセンターに寄ったとか、喫茶店でサンドイッチをたのんだとか予定外の出費はあったものの、それがどうしたら1万円という出費にまでふくれあがるのか、いくら考えても計算が合わないのだ。 月末まであと2週間を残し、僕はさすがにいやな予感をおぼえはじめた。財布の中でレシートに埋もれた千円札、部屋中にちらばった小銭をかき集め、デスクの上に並べてみる。あれっ、思ったより少ないぞ、と僕は首をかしげる。しばらくそれを眺めていたが、眺めているからといって増えるわけでもない。 勇気を出して数えてみる。全部で3千円と少し。そうか3千円か。次の仕送りまで2週間だから、一日200円ですごせばいい計算になる。そうか、200円か……。そして僕は事態の深刻さを、じんわりと時間をかけてかみしめるように理解した。同時に、例の小さな悪魔が頭の中に現れ、僕に語りかけてきた。 よし、なかなか幸先いいぞ。これでおまえは貧乏だ。あこがれの四畳半フォーク的神田川な貧乏生活がいよいよスタートするのだ! 父親を含め社会にのさばる中年親父どもよいまに見ておれ、すきあらば若かりし日の貧乏生活をくりかえし自慢して腐りやがって。机がないのでみかん箱で勉強したとか、米がないのでイモばかり食べていたとか、貨物列車が通ると揺れるアパートでキャベツばかりをかじってたとか、どこかで聞いたことあるような貧乏自慢をクドクドとくりかえし、気がつくと「それにくらべていまの若者は貧乏を知らないから……」と矛先を変えて哀れみの表情を浮かべながら俺をこきおろす。そんな理不尽な言いがかりはもう金輪際ゆるさない。この俺がもっとすさまじい貧乏生活を生き抜いてみせる。新たな貧乏神話を打ち立てておまえらを見くだしてやるのだ! でも貧乏生活のあるべき姿とはいかなるものか。つまるところ、3千円で月末まで生きのびればオッケーということなんだろう。僕は現況を確認した。大学までの通学は問題ない。定期券とバスチケットがある。バスチケットがなくなれば駅から歩けばいい。最大の課題は食料確保だ。台所の戸棚を開けてみるが、あるのはインスタントラーメンが2袋だけ。冷蔵庫にはいくらか食べ物があった。でもひからびたニンジンとか芽が伸びたジャガイモとか賞味期限の切れたタマゴなど、食べられそうにないものばかりだ。入学まもない頃、自炊しようとはりきってスーパーで食材を買いあさったことを思い出した。結局ほとんど調理することもなく、いままで忘れ去っていたのだ。このままだと貧乏生活すら不可能だ。ほとんど断食に近い。 翌日、僕は社会学部の連中といっしょに大学の食堂にいた。あの「パンツ事件」以来、連中とはだんだん疎遠になってきていた。社会学部の集まるところには必ずエリコさんもいる。エリコさんに会うとどうしてもギクシャクしてしまう。別に未練もクソもないのだが、あの事件を機になんだか連中と僕とのあいだに禁句ができてしまったような気がして、以前ほど気楽に話題に入りこめなくなったのだ。 それに連中は徐々に、社会学部としての文化圏を築きはじめていた。つまり連中は一日中いっしょにいて同じ講義を受けているわけだ。当然、内輪の話題が増える。珍客として時たま顔を見せるだけの僕にはさっぱりわからない話だ。会話をさえぎり、「なになになんの話?」とウワサ大好きっ娘のように首をつっこむのは僕のプライドが許さない。かといって、存在に気づいているのにわざとらしく離れた席にひとりすわるのも、いじけているみたいでいやだ。結局僕は、あたかも輪に入っているかのように連中のそばの席にすわり、意味不明の会話に無関心なそぶりを見せながらふんぞりかえって煙草をふかしていた。 そう言えば煙草はどうする? このペースだと煙草代だけで3千円使い果たしてしまうぞ……。ぼんやりと考えてるときに僕はあることを思いつき、独り言を言った。 「そうだ。バイトしよう」 実は独り言を言ったようにみせかけて、連中の関心をひくための作戦だった。果たしてそれは成功し、連中はいっせいに僕を見た。 「そうやバイトや。バイトして金を稼ぐねん。貧乏生活から脱出するにはそれしか方法はないねん!」 僕はますますわざとらしくひとりで盛り上がり、悠々しく立ち上がると1階の購買部へと走った。数分後、僕は連中の興味本位の視線を受けながら、アルバイト雑誌を丹念にめくっていた。 |
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