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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」

18.労働を拒否されるの巻

 しかし僕は貧乏暮らしがしたかったはずだ。バイトなんかしたら貧乏どころかどんどん金持ちになってしまうぞ。

 でも理屈をこねている場合ではない。金だ、金がいるのだ。最初からわかっていた、1日200円で生活するなんてしょせん無理な話だ。このままだとあと数日で金をつかい果たし、ひとりアパートで飢餓と戦うはめになる。それはさすがに避けたほうが賢明に思えた。貧乏をかっこうよく身にまとうためには、やはりそれなりに金がいるのだ。

 僕は自分にそう言い訳をしながらアルバイト雑誌をめくり続けた。これまで僕はバイトもろくにしたことがなかった。浪人時代に引越しの日雇い仕事を一度やった経験があるのみ。つんつるてんのつなぎを着せられ、クマさんのマークがついたトラックで現場につれていかれた。ところがちょっとでも荷物に近づこうものなら、おまえはじゃまだとヤンキーあがりの従業員どもに罵声を浴びせられ、ようやく自分の役割を見つけてとりかかると今度は、なんでそんな梱包の仕方をするんだとか、僕が知りようもない微細な事柄について理不尽な文句をクドクドと聞かされるのだった。ちゃんとした仕事をさせたいなら最初から日雇いなんか使うな。僕はふてくされ、残りの数時間はトラックの影にただぼーっと突っ立ってすごした。

 だから肉体労働系のバイトはもとから候補になかった。あんな脳みその足りない連中といっしょに汗水たらすなんて、考えただけでもゾッとする。もっと僕にふさわしい知的な仕事はないものか。僕のアカデミックな知識を活かせて、才能を発揮でき、身体を使わず、面倒な人間関係にわずらわされることもない、そんな仕事だ。かわいい女の子とお知り合いになれてロマンスのひとつでも花咲くようであればなおよい。

 耳もとでは社会学部の連中が、おもしろ半分に無責任なアドバイスを言ってくる。それを少しは参考にしながら、僕は求人欄のいくつかに丸をつけた。理想に合う仕事はまったくなかったものの、それなりにこなせそうな仕事ならいくらでもあった。

 まず、僕は英会話学校に電話をかけた。「超短期1日バイト。ビラ配りのお仕事です」。場所は僕のアパートからひと山越えた大津市だ。それはバイトとしてはあまりにも味気ないものに思えたが、小手調べとしてはまずはこんなところだろう。

 約束の当日、僕は2時間前にアパートを出た。電車でいけば10分とかからないのだが、電車賃200円を使うのも僕にはもったいなかった。歩いていこう。京都府と滋賀県の県境の山を越えればそこはもう大津市だ。ちょっと長めの散歩をしたと思えばいい。

 ところがその考えは甘かった。いくら歩いても山が近づいてこない。1時間ほど歩き、やれやれ、ようやく山らしくなってきたと思ったら、今度は森が黒々と生い茂る起伏のはざまを道路が縫うようにしてアップダウンをくりかえしている。時間ギリギリになんとか反対側の大津市にたどりついた頃にはすでにバイトをする気力も体力も残っておらず、なんとか生きて山を降りることができたと安堵するばかりだ。

 それでも僕は律儀だ。予想外にこじんまりとしたビルの2階、英会話学校のドアを開けると、おねえさんがひとりけだるそうに事務仕事をしていた。アルバイトに来ました。僕が言うと、彼女は「へ?」という顔でまじまじと見つめかえしてきた。やがてあわてて奥の部屋に走っていった。

 5分後、彼女は首をかしげながら出てきた。

「ビラ配りのアルバイトですよねえ」
「そうです」
「今日の3時からのアルバイトですよねえ」
「そうです、3時にくるようにと言われたので」
「その件ねえ……」

 おねえさんは手もとにあったスケジュール表か何かをわざとらしくパラパラとめくった。

「実はねえ、そのバイトもう定員オーバーになったんですよ。事前にキャンセルのご連絡すればよかったんですけど。申し訳ありませんがまた次の機会に、ということで」

 僕はおねえさんを見た。彼女も僕を見ていた。これはどうやら帰れということらしい。僕は回れ右をして事務所を出た。こんなことになろうとは予想だにしていなかったので、僕は帰りの電車賃も持っていなかった。再び2時間かけて県境の山を越えた。命からがらアパートに帰りついた頃にはすっかり陽も暮れていた。こうして僕の休日は台無しになった。

 数日後、今度はコンビニに電話をかけた。「深夜のコンビニ店員。長期勤務求む」。深夜か。僕にぴったりかもしれない。僕は生まれ持っての夜型人間を自負していて、大学に入ったいまも、あいかわらず朝の4時5時まで起きているのが常だった。母親は昔よく、人間は夜になると体内の赤血球が減少する、だからは夜は眠らないといけないのだと、どこかの週刊誌で読みかじった知識で僕の生活をネチネチと非難した。でもそれがうそだということは自分が一番よく知っている。僕は決して無理をして深夜に起きているのではない、夜がふければふけるほど自然と目がさえてくるのだ。遺伝的にか生得的にか知らないが、僕の身体はともかくそういう仕組みにできているのだ。

 だから必然的に、僕は深夜のコンビニをよく活用した。コンビニに行くと店員はたいてい奥にひっこんでいる。立ち読みしているあいだも弁当を物色しているあいだも店員の姿はない。レジの前に立ったときにはじめて、防犯カメラか何かで監視していたんだろう、事務室から店員がけだるい表情をしてのそりのそりと出てくるのだ。なんという楽な仕事だろう。こんな楽な仕事ならどんなダメ人間でもできるぞ、ましてや僕なら楽勝だ。

 電話には「店長」と名乗る男が出てきた。低いダミ声の男だったが、そんなことぐらいでびびってはいけない。バイトをしたいと努めて明るい声色で言ったら、今日にでも面接にきてくれと言う。

「学校があるので夕方以降でもいいですか」
「いいよ、じゃあ今晩10時に来てください」

 夜の10時! 朝の10時でも昼の3時でもなく、夜の10時に面接! なんという非常識かつ反社会的な、それでいて魅惑的な響きを持った言葉だろう。やっぱり僕が期待していたとおりのアウトサイダーなお仕事だ。

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