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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」 |
20.シフトに組み込まれるの巻水曜日はすぐにやってきた。バイトの初日だ。これから毎週水曜と木曜、深夜0時から朝8時までのシフトに僕は組み込まれることになる。こっちの都合と関係なく大学の講義はあるわけで、僕は仕事を終えたその足で大学に直行しなければならない。ハードなスケジュールだ。眠るひまもない。だがその無茶さ加減が僕を発奮させた。そうだ、僕は生活費を稼ぐために骨身を削って働く苦学生なのだ。世間知らずのぼんぼんだなんてもう誰にも言わせないぞ。 だがそうやって自分を奮い立たせてみても、すぐに憂鬱な気分に舞い戻る。なぜだ? 冷静になって考えてみると、僕はどうやらバイトがいやらしい。そうだ、僕は実はきっとバイトなんかしたくないのだ。 コンビニのレジに立った自分を想像してみる。バーコードを読み取るあの謎の装置を握りしめ、商品をビニール袋に詰めこみ、すばやくおつりを計算し、ひきつった笑顔で「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました!」と連呼する……。ぞっとする。早くも吐きそうな気分になってきた。僕には客商売なんて向いていないのだ。見ず知らずの、それも見るからに低脳そうなコンビニの客どもに愛想を振りまき頭をさげるなんて。僕のプライドが許さない。 なぜこんなことになった? まず親の仕送りを使い果たした。これは僕が悪い。金がないからバイトしようと思い立った。これもまだ妥当な判断だろう。でもどうしてよりによってコンビニのバイトなんか選んでしまったのだ。その場のいきおいか。社会学部の連中にけしかけられたからか。じゃあ悪いのはあいつらか。いや、その考えはよくないだろう、なんでも人のせいにするのはいけないことです。たしか、コンビニ店員といういかにもステレオタイプなバイト像に魅惑されて、半分ウケ狙いで決めてしまったような気がする。だがもっと交通の便がよくて楽で青春を謳歌できそうバイトが、探せばいくらでもあったにちがいないのだ。 深夜なのでたぶん客が少なく、仕事が楽そうなことが唯一の救いだった。これもいい経験だ、と僕はちょっとだけ前向きになってみる。第一、僕には金が要る。仕送りの残高はほとんど底をつき、食うにも困る状態なのだ。食いつなぐためには働かねばならない。適当に稼いで適当に飢えをしのいで、キリのいいところで何か上手な言い訳をみつけて辞めよう。僕はそう思いながらアパートをあとにした。 コンビニがある西大路まで電車で10分。電車賃は部屋中にちらばった小銭をかき集めてなんとか捻出した。歩いて行くのはやめにした。自分を無茶な行動に駆り立てるバイタリティはすでにない。西大路の駅を降りたところで僕は立ち尽くした。さて、コンビニへはどうやって行けばよかったんだか。前回は歩いてきたので駅からのルートがわからないのだ。幸運にもリュックの中にあった京都市街地図を何度もひっくりかえしながら僕は恐る恐る歩き出した。廃墟みたいな雑居ビルや倉庫がどこまでも続く。人影はなく、タクシーやダンプのヘッドライトが猛スピードで走り抜けていく。迷子の仔ヒツジのように歩き続け、20分後、見覚えのあるコンビニの灯りがようやく視界に入ってきた。20分! こんなに遠いとは思わなかった。やっぱり辞めよう。適当に働いたらさっさと辞めよう。 でもすっぽかしたりしないところが僕の律儀なところだ。コンビニのドアをくぐり、真昼間のように明るい光の中目をこらすと、仕事帰りのサラリーマンがレジに長い列をつくっている。オバQ顔をした例の店長が僕を見つけ、目配せをした。奥の事務室で待っていろということらしい。わかりました店長。僕は潜水艦を思わせる銀色のドアを押し開け、事務室のパイプいすにまるで腑抜けたみたいにぼんやりとすわっていた。 しばらくして、客をさばき終えた店長が「ふー」とため息をつきながら入ってきた。 「とりあえずコレ着てくれ」 手渡されたのはクシャクシャに丸められたエプロンだ。慣れない手つきで着てみると、僕の胸元にコンビニの薄汚れたロゴマークがだらしなく並んだ。 「今日は一日オレもいっしょに入るから。仕事見ておぼえてくれ」 店長はレジへと駆け出していく。僕もあとに続いた。心の準備をするひまもない。レジにはすでに何人かの客が買い物カゴをさげて待っている。まず、店長がひとり目の客をさばく。「いらっしゃいませ!」の一言と同時に商品を手にとり、バーコード読み取り機をあて、ビニール袋につめていく。受け取った金額を瞬時に数え上げ、「千5百2円おあずかりします!」と言い終えないうちにおつりを取り出し、「3百円のおかえしです、ありがとうございました!」と深々と頭をさげている。慣れた動きだ。申し分ない顧客対応だ。僕は横につっ立って、ふうん、という顔をしてそれを見ていた。特に珍しいモンでもない。コンビニに買い物にいったときいつも見ている。 すると店長はなぜかうしろに一歩さがった。僕に目で合図をする。まさか。まさか僕に同じことをやれと言うのではあるまいな。だが冷静に考えればそれ以外にない。僕はレジに進み出た。すでに客が無愛想なツラをぶらさげて目の前に立っている。落ちつけ。ようは店長のやったとおりそっくり真似ればいいだけだ。 僕も馬鹿じゃない。倍くらいの時間をかけながら、いま見た動作を慎重にくりかえす。なんのことはない単純作業だ。慣れればもっとスムーズにできるようになるだろう。店長は、あいさつはもっと元気よくな、とか、とおりいっぺんの注意を言った。僕は生返事をしながら、ふと自分の身体が震えていることに気づいた。緊張しているのか。いや、緊張とも少しちがう。ではこの煮えたぎるようなやり場のない感情はなんだ。僕は緊張していたのではく、屈辱感にうち震えていたのだった。ああ僕も。僕もここまでおちぶれたか。宇宙の真理を究明し、人類の歴史に革命をもたらすために大学にやってきたのに、こうして低俗な客どもにペコペコ頭をさげている。ついさっきまで僕は客の立場だったのに、レジのこちら側に入ったとたんに僕は「店員」で向こうは「お客様」。この不条理。 深夜12時を30分ほどすぎたところで、とたんに客がいなくなった。終電の時刻をすぎたらしい。僕はひと息つく。あとは朝が来るまでのんびりと、事務室で煙草をふかしながら文庫本でも読んでいればいいのだ。時間はたっぷりある。今度から『罪と罰』とか『カラマーゾフの兄弟』とか、ああいう長編ロシア文学でもってこようか。 すると店長は腕を組み、店内を見回してこう言った。 「さあ、忙しいのはこれからや」 その言葉の意味をはかりかねていると、午前1時、謎のトラックが店の前に停まった。おっさんが3段に積まれたプラスチックケースを担いで入ってきた。ちわーす。ケースを床にどさりと降ろす。 「まずは弁当や。あとおにぎりとサンドイッチや。ケースから1個ずつ出して。伝票をチェックしてから棚に並べるんや。そのまえにすでに並んでる商品で賞味期限切れのやつがないか調べるんや。『牛カルビ弁当』と『特選牛カルビ弁当』は別モンや。その点注意な」 やっと終わったと思うのもつかの間、今度は午前3時、10段積みのプラスチックケースが搬送されてくる。 「冷蔵食品や。牛乳にバターにプリンにハムや。半生タイプの中華麺もあるで。これはな、まず全部に値札を貼るんや。賞味期限の迫ってるやつから手前に並べるんや。奥の冷蔵庫にも在庫がある。商品の並び順勝手に変えたらあかんで」 こんな調子で、4時には飲料類、5時には新聞8紙、6時には雑誌の山とインスタントラーメンが次から次へと運び込まれてくるのである。だまされた! 僕は叫びそうになった。深夜だから楽かと思いきや、客の少ない時間帯をねらって商品が次から次へと運び込まれてくるのだ。そのあいだにも客はのん気な顔をして店にやってきて、弁当チンしてくれとかカップめんにお湯入れてくれとか、まるでいやがらせのように注文をつけてくる。これでは読書どころかいすにすわっている余裕もない。朝になれば再び客が増える。眠たげな目をした客、遅刻しそうになってイラついている客、そんな奴らがレジ前に長蛇の列をつくる。そんな連中に対しても僕は疲れを見せず「いらっしゃいませ!」とさわやかな声をかけなければならない。 午前8時になり、僕の長かった一日は終わった。長距離マラソンを走り終えたあとのように疲れている。吐きそうだ。予想外にハードな仕事だ。だがこれでいくらかまとまった金を稼いだことになる。時給800円で8時間だから6400円か。馬鹿にできない額だ。6400円あればごはんが食える。ゴージャスに焼肉を食べにもいけるぞ。 「今日は1日ごくろうやったな」 店頭はじめて笑みを浮かべた。 「ところで給料のことやけどな。まえ言ったとおり時給800円な。そのうち値上げも検討するから」 はい、お願いします! 「振込みは毎月末締めの翌月10日払いや」 はい、わかりました! ところがそう答えてみたものの、しばらくして「あれ?」と思う。やがて僕の笑顔は見る見るうちに凍りついた。 僕はとんだ勘違いをしていたらしい。これまで日払いのバイトしかしたことがなかったので、今日の給料もてっきり今日のうちにもらえるような気がしていたのだ。 僕はバイト選びをまちがえた。僕はいますぐにでも金がほしいのである。そうしなければ飢え死にするのだ。ならば日払いのバイトをさがせばよかったのだ。でも給料は来月の10日まで支払われないし、それまで毎週バイトに行くために電車賃ばかりが財布から出て行く。僕は結局、自分の首をますます絞めているにすぎなかった。 |
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