![]() |
| |ホーム>ひきこもりっくすもくじ|制作者について|掲示板 |
ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」 |
21.テレビに泣かされるの巻バイトを終えたその足で大学に向うも、もはや講義を受けるどころではない。疲れていた。働いたあとのすがすがしい疲労感なんてもんじゃない。まるで荒波をゆくマグロ漁船に乗って壮絶な船酔いにかかったみたいな気分だ。もちろん僕はマグロ漁船なんかに乗ったことはないのだが。 理工学部のオタクどもを前にしてとうとうと語ってやろうか。「おまえらが眠りこけているあいだじゅう、オレは生活費を稼ぐためにどれだけ死にもの狂いに働いたか」。……やっぱりやめた。これしきの労働でへばるのはひょっとしたら僕くらいなのかもしれない、バイトってのはおそらくこのくらいしんどくて当たり前なのだ。危ない危ない。自分の世間知らずぶりを自ら暴露してしまうところだったぞ。 僕は教室へは行かず、大学図書館に向かった。午前の講義はサボろう。どうせふだんからまじめに受けていないし、こんなに疲れた日にサボってはいけない理由がどこにあるというのだ。僕は煙草を1本吸い終えると同時に、談話室のソファに倒れこんだ。 眼をさますと昼すぎだった。いくぶん疲れがとれ、僕は冷静さを取り戻しつつあった。やっぱりバイト辞めるか。給料は来月まで支払われないし、このまま働いても逆に金が減っていくだけだ。 すると店長の姿が眼に浮かんだ。「荒俣宏」プラス「オバQ」割る2という顔をした店長が、突然辞めてしまった僕の穴を埋めるために深夜のコンビニでレジを打ったり弁当を並べたりしている丸い背中。その姿はこっけいであると同時に悲哀がただよっていた。僕は面接で言われたことを思い出した。コンビニまで2時間かけて歩いてきたことを知り、店長は「おまえは根性がある」と言って笑った。そうか、僕には根性があるのか。だとすればこのまま辞めるわけにはいかない。僕のプライドが許さない。 しつこい疲労感を背負ったまま午後の講義を受け、アパートに帰ると再び眠りについた。気がつくともう夜の11時だ。僕はあわてて準備をすると、昨日と同じようにコンビニに向った。 まだ見習いということで、その日は先輩のバイト店員とふたりだった。1歳年上で口数は少なく、でも仕事は無駄なく淡々とこなす。そしていつでもやさしそうな笑みを浮かべている。なかなかいいやつだ。いっしょに何時間か働くうちに僕らはうちとけていった。休憩のときはふたりで事務室のパイプいすにすわりながら言葉少なく世間話をした。でもこれがいけなかった。 「休憩しよう」というたびに、彼は商品の棚から缶ジュースを選んできては飲みはじめる。店の商品だからといって無料ではない。レジで自らお金を払って買わなければならない。僕だってのどは渇く。飲みたい。つられて買う。こうしてポケットの中でチャリチャリと音をたてている僕の全財産はみるみるうちに減っていった。午前4時になり、彼は今度は「夜食にしよう」と言い出した。名前に『スペシャル』がつく特大の弁当を選んできて食っている。人の気も知らないで。僕は110円のおにぎりひとつだ。 「あれ? そんなに少なくていいのん?」 僕はおにぎりを口の中でくちゃくちゃと執拗に噛み続けながら答えた。これは困ったことになったぞ。その時点で僕はついに全財産を使い果たしてしまっていたのだ。来月の仕送りまであと1週間、どうやって生きていけばいいのだ。そもそも目前の問題として、今日の帰りの電車賃がない。 最後の望みに賭けるしかない。だいじょうぶ、彼はやさしい男だ。きっと助けになってくれるはずだ。 「唐突ですが、実は折り入ってのお願いがあります」 僕は真剣な表情で話し始めた。これまでの経緯をかいつまんで、しかし悲壮感をただよわせて説明し、 「200円、200円でいいんです。今度会ったときに必ず返しますから。約束します!」 だがそれまであんなににこやかだった彼は、なんだか汚いものでも見つめるような目つきで僕を見ていた。しまった。今日会ったばかりなのにあまりにも虫が良すぎるというものだ。僕はあわてて財布をひっぱり出した。 「すみません、いまのはなかったことにしてください! ……かわりといってはなんですが僕のテレホンカードを買っていただけませんか。度数が400円相当残っています、これを200円で。いまなら牛丼屋の100円割引チケットもオマケにつけます」 だが彼は後ずさり、もはやおびえたような表情で首を横にふるばかりだ。 こうして僕らの信頼関係は木っ端微塵に吹き飛んだ。残りの時間、彼はほとんど僕と眼を合わせてくれなかった。会話もない。まあいい、どうせ僕ひとりで店をまかせてもらえるようになったら、顔をつき合わせる機会もなくなる。 午前8時、バイトを終えた僕はほっと息をつく。これで来週水曜までの一週間、またいつもの自由気ままな生活に戻ることができるのだ。だが電車賃がないので歩かなければならない。なに、あの山を越えるまでのしんぼうだ。自分のアパートまで帰りつけば、あとは大学までの定期券がある。 でも、実は最初から思っていたとおりの展開なのだが、朝もやの中をひたすら東に向かって歩き続け、京都の山を越え、2時間後にアパートにたどりついたときにはすでに大学に行く気力も体力もなくなっている。部屋のドアを開けると同時に僕は敷きっぱなしになっている布団に倒れこんだ。気がつくととっくに夕方になっている。 冷蔵庫の中は空っぽ、食べるものは何もなかった。金もなかった。裸電球が灯る薄暗い台所にひとりで立ち、水を何杯も飲んだ。塩をなめた。人間が生きのびるために最も必要なのは水と塩、そういう話をどこかで聞いたことがあったからだ。 翌日は大学に行ったが、大学に行ったからといって食料にありつけるわけでもない。誰かに頼ることもできた。大学食堂でラーメンくらい、誰かおごってくれそうな気もした。でも社会学部のタキタからは千円を借りてまだ返していなかったし、最近ただでさえ連中とは疎遠になっているのに、顔を合わせたとたん媚びるような笑顔を浮かべて「なんか食べさせてくれ」と物乞いしろと言うのか。今月の仕送りがなくなってからというもの、タキタにしろコンビニの先輩にしろ、僕はさんざんあちこちに媚び続けてきたのだ。もう限界だ、これ以上自分をおとしめることなんてできない。僕は連中とはちがうのだ、僕には崇高な使命があって大学に来たのだ、他人に媚びへつらうのはもうたくさんだ! 僕は大学の食堂から砂糖袋を二十本ほどくすねて持って帰った。コーヒーを飲むときについてくるアレだ。昨日と同じく台所に立ち、袋をやぶって口に含む。砂糖の粉が唾液を一瞬にして吸い取り、口内にねばりつく。それをコップ一杯の水で流しこむ。そうやって僕は二十袋を胃の中におさめたのだが、腹がふくれるどころか頭はクラクラ、目がまわりはじめ、あげくの果てには全部吐いてしまい、僕はその晩寝込んでしまった。 週末が来た。状況はますます悪化した。大学に行っていれば気分もまぎれるだろうに、何もすることがない。第一何をする気にもならない。布団にもぐりこんだままテレビを見続けた。これが。これが飢えというものなのか。この苦しみはいわゆる空腹感とはまったくちがう、空腹感なら僕も知っている。「僕」が「空腹」を感じているのではない、「空腹」が僕という存在を侵食し、「僕」と一体化してしまったかのようだ。部屋の中にちらばっているゴミクズでもなんでも、衝動的に口に入れてしまいたくなる衝動にかられた。馬鹿なことを考えちゃいけない。馬鹿なことはするな。僕は布団にしがみついた。 僕が何をすればいいかはわかっていた。親に電話すればいいのだ。悪いけどはやめに仕送りを振り込んでください、そう泣きつけばいいのだ。でもそれをやってしまったらすべてがパーだ。僕は親の束縛から自由になるためにひとり暮らしをはじめたのだ。いまだって親のすねをかじって生きているということになんら変わりはない、わかっている。でもこの暮らしが僕の自由への第一歩であるという位置づけは変わらない。いまここで親にすがりついたりしたら、生まれてからこれまで20年間続いたあの悪夢の支配する世界にしっぽを巻いて逃げ帰るのと同じことだ。 気がつくとテレビでは料理番組をやっている。料理研究家なる肩書きのついたうさんくさいおばちゃんがレシピを饒舌に語りながらなにやら料理を作っている。僕はブラウン管に釘付けになった。うまそうだ……。そのとき、自分の身体におこっている異変に僕は気がついた。 ほほが濡れている。 僕の眼から涙がこぼれていた。僕は料理番組を見ながら泣いていたのだ。 |
| <前 |もくじ| 次> |