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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」

23.浜省に誘われるの巻

 がまんできなくなった僕はついに「ワアアアッ!」と叫んでアパートを飛び出し、田んぼの中を跳ねまわるカエルどもをかたっぱしから捕まえると、まるで野獣のようにガツガツと食らいついた……というのはもちろんウソである。これ以上に待てないと思ったまさにそのとき、小林君が風呂敷づつみをぶらさげてアパートに現れたのだった。僕のピンチをまるで楽しんでいるかのような彼の表情を見たとたん、カエルを食おうなどという酔狂な思いはすっかり消えてなくなっていた。

 実はカエルを食べようなんて本気で思うはずもない。なんとなく想像してみただけだ。飢えのあまりにカエルを食べた、なんてことになったら、さぞかし強烈な武勇伝として後世に語り継がれることになるだろう。老人になった僕はノーベル賞受賞インタビューの席でしみじみと語り出す。「この大発見をするまでにはそれはそれは苦労したのです。若かりし頃は貧乏のあまりカエルを食べたこともありました」。報道陣はどよめき、畏敬をこめた瞳で僕を見上げ、イエス・キリストに出会った12使徒みたいに僕の前にひざまづく――。そんな情景を思い浮かべてひとりほくそ笑んでいたわけだ。ああ武勇伝武勇伝、僕はなんと武勇伝に飢えていることか。武勇伝の色メガネを通して見るとこんな退屈な毎日もまるで『偉い人の話』のひとコマみたいに見えてくるぞ。いや、その前に僕は食べ物に飢えているのだった。まずはメシだ。はやくなんか食わせろ。

「もってきましたよ、救援物資」

 小林君がにやつきながら風呂敷づつみを開けると、それは馬鹿でかいタッパーの弁当と生餃子だった。彼はフライパンを火にかけると勝手に餃子を焼きはじめた。僕はありがたく弁当をいただくことにした。いかにも小林邸の残飯を捨てられるまえにかきあつめてきました、といった感じで、ごはんやテリヤキチキン、レタスやプチトマトなどが無造作につめこまれている。チキンの汁にまみれてごはんは茶色くべとつき、トマトはつぶれて半なまのケチャップみたいになり、これじゃまさに生ゴミではないか。

 文句を言うのはさすがにためらわれたので、僕は眼をつぶって口に運んだ。うまい!と感じるかと思いきや、あんまりおいしくない。腹が減っているとどんなものでもおいしいと言う。誰が言ったが知らないが、ありゃウソだ。それに胃が縮んでしまったのか、意外と食が進まない。

 それでもごはんは食べた。チキンも食べた。焼きあがった餃子もおいしくいただいた。でもトマトはどうしても食べられない。トマトは大の苦手なのだ。

「どうして全部食べないんですか」

 こっそり残していたトマトを小林君はめざとく見つけ、懇願するような目つきで僕を見つめた。小林君すまない。でも嫌いなものは嫌いなのだ。

 夜も遅くなったので、小林君は僕のアパートに泊まることになった。酒でも飲むか。アパートにあったアーリータイムズを僕たちは飲みはじめた。ひとりで飲むとすぐに眠ってしまう僕でもふたりならなんとか覚醒したまま飲み続けることができるわけで、気がつくと一本が空になっている。でも飲んでいたのはほとんど小林君のほうだ。

 酒だ酒。酒買うてこい。小林君の悪酔いがはじまった。僕たちは酒を買いにでかけたが、さすがは田舎、酒を売っている店はすべて閉まっている。バーもない。そこで僕たちは社会学部のコウヘイのマンションへと向かった。エリコさんの「パンツ丸見え事件」のときに大量のアルコールを買いだめしていて、それがまだ残っているはずだ。歩くこと10分、コウヘイのマンションに到着し、チャイムを鳴らすが返事はない。それでも酔ったいきおいでチャイムを執拗に鳴らし続けると、ドアが細く開いて「なに?」寝ぼけまなこのコウヘイが顔を出した。そして僕たちは戦利品としてウイスキーと焼酎のボトルを数本持ち帰ることに成功したのである。はい、僕はどこまでいってもすうずうしい男です。

 翌朝、小林君は二日酔いでダウンしていた。僕はいたって平気だ。小林君はポケットから札を何枚か力なくひっぱり出して僕に握らせた。

「すみません、なんでもいいから二日酔いに効く薬の調達をお願いします……」

 近所の薬局でソルマックを買ってくると、小林君はうつろな目で天井を仰いで一気に飲み干した。おつりはいりません、それでなんとか食いつないでください、それから生餃子がもう一箱ありますから置いていきます。小林君はそう言い残し、やはりフラフラとした足取りで帰っていった。

 親からの仕送りがあったのは数日後である。6月になっていた。僕は朝一番に郵便局に出かけて口座から数万円を降ろし、近所のラーメン屋へと急いだ。アパートのすぐ裏手に「天下一品」というラーメン屋があり、僕は以前から目につけていたのだが金がなくて行けなかったのだ。小林君には失礼だがひさしぶりにまともな食事にありついたあのときの感動は忘れられない。濃厚なスープの香り! ほどよく焼けた分厚いチャーシュー! その下で鈍い光を放つ麺! その麺が、とろけるようなスープとネギのかすかな刺激臭とともに、僕の乾いたのどをいままさにゆっくりと流れ落ちていく! この感触! とまあ、このへんでやめておこう。

 それからしばらくして今度はコンビニから給料が振り込まれた。月の途中から働きはじめたせいもあるが、額は少ない。3万円と少し。あれだけ働いてたったこれだけか。割にあわない。そもそも食費を稼ぐためにバイトをはじめたので、仕送りが振り込まれたあととなってはますますありがたみに欠ける。そうだ、ここは一発ギャンブルで倍に増やそう。僕はパチンコに行き、しかし店を出たときには1万円にまで減っていて、結局むなしさの上塗りをするに終わった。

 残った1万円を握りしめて僕はデパートに向かった。そうだ洋服! 自由を求めてやまない僕にとって、自分で服を買うという行為は避けられない通過儀礼のひとつだ。これまで親に買い与えられていたものばかり着ていた自分とおさらばするのだ。親が買ってきたトッチャン坊やみたいなシャツも、リーバイズの偽物ジーンズも、グンゼのブリーフもすべて脱ぎ捨て、自分の意志で選んだ自分の服に着替えて新しく生まれ変わるのだ!

 だがデパートに行くと、ロボットみたいな笑顔とうらはらにどんなに遠く離れていても決して監視の目をそらさない店員たちに僕はさっそくうろたえた。服の値段を見てさらに戦意喪失した。だいたい僕は「おしゃれ」とはいかなるものかよくわかっていないのだ。

 そのとき、ふと僕の目にとまったものがあった。売り場の片隅にうず高く山積みされていたもの。

『バンダナ 3枚1000円』

 バンダナ。これも「おしゃれ」のあり方のひとつではあるまいか。そう言えば和製ブルース・スプリングスティーンと呼ばれる日本が誇る大御所ミュージシャン浜田省吾も、バンダナを巻いていた記憶があるぞ。

 翌日、僕はさっそく真っ赤なバンダナをはちまきみたいに頭に巻いて大学にでかけた。

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