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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」

24.宗教に勧誘されるの巻

 大学に近づくにつれ、電車内は若者の姿が増えていった。駅からバスに乗り、キャンパスに降り立つとそこは当然同世代の学生だらけで、いつもならば僕もその無数の人ごみの中にまぎれてしまうところだ。ところがその日はちがった。通りすぎていく誰もが僕の顔をチラリと見るのだ。

 理由はすぐにわかった。頭に巻いたこの真っ赤なバンダナのせいだ。よほど目立つとみえる。予期せぬバンダナ効果に僕は胸おどった。そうだ、これでいいのだ。この状況、僕と他の連中との精神レベルの差をみごとに具現化しているではないか。

 バンダナをしているのは大学で僕ひとりで、他の連中はバンダナをしていない。このちがいは決定的だ。この大学において僕ほどに高い志を抱いている人間は他にいないわけで、それゆえにこのバンダナは、言わば僕だけに許された一種のめじるし、称号の役割を果たしているのだ。

 これで僕の存在はいずれ大学中に知れわたることになるだろう。僕のことを直接は知らなくとも、「あのバンダナの男」と僕のことをウワサするだろう。やがて偉大な科学者になって全世界に革命をもたらしたあかつきには、「あのバンダナの男が世界を救った」と、誰もが僕という存在を思い出すことになるだろう。

 僕はさっそく救世主にでもなった気分で、教室のドアをいきおいよく開けた。理工学部のオタクどもが無駄話をやめていっせいに僕を見た。表面上は平静をよそおっているものの、みんな僕のバンダナが気になってしかたがないようすだ。いいぞいいぞ。おまえらよく見ておけ。額を覆っているこの真っ赤なバンダナこそは革命戦士の証し。孤高な魂とみなぎる情熱を意味する真っ赤な血の色をしたバンダナだ、おぼえておけ。
どこからともなく、チンメ氏がうすら笑いを浮かべて近づいてきた。

「ヘビーおはよう」

 まるで悪だくみを嗅ぎつけてやってきたねずみ男みたいな態度だ。気にくわなかったが僕はクールを決めこみ、「やあ」と目だけで笑ってみせた。

「で。いったいどうしてんそれ」
「なにが?」

僕はそしらぬそぶりをする。

「その頭やん」
「ああーこれね。見てのとおり、血の色をした真っ赤なバンダナや」

 僕は静かに、しかし気高い口調ではっきりと答えた。チンメ氏はクスッと笑った。おやおや笑うとは何事だ。さては「あのヘビーがまたよからぬことをはじめた」とか思ってるんだろう、おまえはいつもそんなふうに俺を見てるんだろうおまえは! おまえのようなオタクにはわかるまい、俺のような天才がいったい何を考えて生きているのかを!

「そのバンダナ、オタクっぽいで」
「へ?」
「なんかオタクっぽく見えるで。ま、ヘビーが好きでやってるファッションやから別にかまへんけど」

 そのときチャイムが鳴った。ちなみにこの大学のチャイムは仏教歌をアレンジしたもので、聞いているだけで憂鬱な気分になってくるダウナー系のメロディであるのだが、やがて仏頂面した教授が教室に現れ、学生どもはあきらめたように席についた。しかし心中おだやかでないのは僕である。オタクと呼ばれた。オタクにオタクと呼ばれてしまった。バンダナのどこがオタクだというのだ、そりゃあ日本橋あたりをうろつくとバンダナファッションを決めた人々に出会ったりするが、僕に限ってはオタクじゃない、むしろマニアと呼んでくれ。だいたいこれは僕にオタクファッションとはなんら関係のないもので、和製スプリングスティーンこと浜田省吾ファッションなのである。

 退屈な講義が終わり、僕は弁明するためにさっそくチンメ氏のもとに駆け寄ったのだが、理工学部どもは僕のバンダナなんぞすっかり見飽きてしまったという態度で、ドロンとした目でゾロゾロと次の教室へと歩いていく。まるでゾンビだ。話にならない。

 僕は次の講義を受ける気にもなれず、何食わぬそぶりでゾンビの行進を抜け出した。向かったさきは大学食堂だ。たぶん社会学部の連中がいつものごとく永遠のひまつぶしを続けていることだろう。いや、別にこのバンダナを自慢したいわけではないのだが。タキタから借りていた千円をまだ返していなかったのだ。

 食堂の2階には思ったとおり連中がいた。まるで日向ぼっこするハトの集団のごとく、つかずはなれずテーブル席に陣取っている。理工学部とはちがうゆるやかな時間がそこには流れていた。たばこの煙が連中の頭上にまるで雲のようにゆらめいている。

 連中の反応はいまいちだった。みんな僕を一瞥したが、表情が硬い。こわばっている、と言ったほうが正解だ。救世主の証しである僕の真っ赤なバンダナを見上げ、気になるような、でもあえて質問するのもためらっているような、そんな目をしている。いや、何度も言うが僕は別にバンダナを見せにきたわけではないのだ、千円を返しにきたのだ。

「これ、このまえ借りたお金」

 僕はタキタにぶっきらぼうに夏目漱石を差し出した。タキタは、ああ、となんだか気まずそうに笑った。お呼びでない? 社会学部の連中全体に、なんだか僕に対して距離をとろうとする空気が漂っていた。気のせいか? いや気のせいではない。話のじゃまをしてしまったのかもしれない。僕には理解できない内輪の話だろう。

「世話になったね」

 僕は捨てゼリフを残してその場から離れた。

 社会学部の連中は僕を煙たがっている。とっくに気づいていたことだ。思えば単独で社会学部に乗りこみ、異能な人材として最初は珍重されていたものの、そろそろ飽きられたか。僕はまるで、カップルが初デートで見にいくクソ映画のようではないか。社会学部の間つなぎ。話をもたせるための共通のネタ。ところが時間がたち、連中のあいだに仲間意識、連帯感が形成されるにつれ、僕という存在は不要になった。いまとなってはじゃまものあつかいだ。

 ここのところ大学をサボりがちだったのが輪をかけた。アパートに閉じこもって空腹と格闘するのでせいいっぱいで、あまり大学に来ていなかったのだ。この数週間ですべてがボロを出し始めたような気がする。僕と社会学部との関係、僕と理工学部との関係、僕と大学との関係。その全部だ。万有の真相はただ一言にしてつくす。いわく「違和感」か。ああこの違和感。この世に生まれて20年、またしても、僕の居場所は見つけられず。だがこれでいいのだ、どうあがいたって孤独でしかありえない、僕はそういう人間じゃないか。

 アパートに帰り、ひとりぼんやりとテレビを見ていて、ふと思い立った。そうだ。ギターを持って街に出よう。大学なんぞに真の心のふれあいを求めた僕がいけなかった。もっと裸で街に飛びこんでいくのだ。裸で街と触れ合うのだ。

 ギターケース抱えて電車に飛び乗り、めざすは京都の三条だ。気がつけば夜、三条大橋の上でギターケースを開ける。人通りは多い。僕はさすがにびびったが、ここでひきさがるわけにはいかない、裸で街と向き合うのだ! 僕はギターをぶらさげて大声で歌いはじめた。長渕剛だ。バンダナを巻いているからには浜省を歌いたいところだが、浜省なんか歌ってもあんまりウケないからね。

 やがて目の前にひとりの少女が現れる。思いつめた表情、まるですがるような目をして僕の歌を聴き続ける、やがてふたりは恋に落ちていくのだ。……僕の中でさっそくあられもない妄想が展開していったのだが、まさかそんな都合のいいことは起こらない。と思っていたら、誰かが拍手をするのが聞こえた。顔をあげると、背広姿の生真面目そうなおっさんが立っている。

「いやあ、うまいですね! 感動しました! すばらしいです!」
「どうも」
「ほんのお気持ちですが、どうかコレ、受け取ってください」

 おっさんは財布から千円札を取り出した。夏目漱石がギターケースの中にひらひらと舞い降りていく。お金だ! ホントにコレいただいていいんですかおにいさん!

 するとおにいさんは僕の隣に腰かけた。

「ところでちょっとお話聞いていただきたいんですけどね」

 一枚のビラを渡される。そこには「神」だとか「イエス・キリスト」だとか「救い」といったうさんくささ100パーセントの文字が並んでいた。

「あなた本当に幸せですか。いえいえ私にはわかります、あなた孤独なんでしょう。私たちの教会に来てください、心から信じあえる仲間と出会えますよ、必ず来てくださいね」

 おっさんはそう言い残して去っていった。宗教の勧誘か、と僕はためいきをつく。またしても宗教か。

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