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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」 |
29.振込用紙を渡されるの巻光の射さない講堂、祈りの大合唱、教祖とイエスとブッダの肖像画、百人の信者、そして互いの頭上にかかげられた、謎のパワーをはなつ百本の右手――。僕はしょうこりもなく、例の宗教団体の「第2講」に来ていた。 僕がこうやって支部に来ることを、手かざしおねえさんは「講」と呼んでいた。前回が第1講で、今回が第2講。いったいどういうことだ? 僕だって馬鹿じゃない。この教団のシステムを僕はうすうす理解しはじめていた。その名のしめすとおり、きっとこれは「講義」なのだ。教団入信へのカリキュラムなのだ。第2講のあとには当然第3講があるにちがいない。「あと1回だけですよ」。僕は手かざしおねえさんに約束させた。その約束も、ものの見事に破られることになるのだろう。そしてどこかの段階で僕はきっと入信を迫られる。わかっている。 でも好奇心が勝った。第2講でいったい何が起こるのか見届けたかった。だから小林君もつれてこなかった。騒動を起こされたら困るというのもある。でもこれは僕ひとりで巻き込まれた問題である以上、自分ひとりで最後を見届けたかった。僕は逃げないぞ、そして僕だけの武勇伝をつくるのだ。あとでさんざん小林君に自慢してやろう。待っていろよ小林。 「さあ、こっちに来てお話をきくのよ。この世の真理についてのお話よ」 お祈りが終わり、手かざしおねえさんが僕に手まねきした。畜生、すっかり勝ちほこった表情をしていやがる。でもこのまますんなり入信すると思ったら大まちがいだ。 僕は薄暗い広間に通された。真新しい畳のにおいが鼻をくすぐる。すでにふたりの男が正座をしていた。きっと僕と同じ経緯でここにつれてこられたんだろう。ふたりの後ろにはそれぞれ信者数人がかたまってすわり、マネキン人形みたいな笑顔をうかべてしきりに何か話しかけているが、ふたりはいっこうに緊張がとけないようすで、目は泳ぎ、くちびるは小刻みにふるえ、いまにも卒倒するんじゃないかという形相だ。かわいそうに……って僕も似たり寄ったりだが。 ふたりの横に僕はすわらされた。続いて手かざしおねえさんと応援部隊が、まるで寄席に落語でも見にきたみたいにはしゃぎながら僕の後ろにすわった。次の瞬間、背後のふすまが音もなく閉まり、部屋の中はますます暗くなった。正面にライトがともった。照らし出されたのは壁にかかったホワイトボードだ。畳部屋にホワイトボード。なんてミスマッチな。 やせ細った身体に白装束をまとったおばさんがライトの中に現れた。いじわるそうな薄笑いをうかべ、おばさんは仰々しく話しはじめた。 「さてみなさん。こうやってここに来るのは2回目ですね。これも運命、霊泉なのです。明主様のお導きによってみなさんはここにつれてこられたのです。今日はこの世とあの世の関係についてお話しましょう」……。 こうして「講義」がはじまった。実はちょっと期待していた。何かものすごくおもしろい話を聞けるんじゃなかろうかと。思わずうなってしまうようなありがたいお話でもいいし、逆に爆笑をさそうブッ飛んだ話でもいい。おもしろけりゃなんでもいいぞ。 だが期待は見事に裏切られた。「霊界と現世はつながってる」とか「霊界でおこったことがこの世に影響を与える」とか。ありふれた話ばかりだ。僕をどなたと心得る。『ノストラダムスの大予言』シリーズにはじまり、月刊『ムー』、聖書はもちろん箱崎総一の『カバラ』、酒井勝軍の『猶太民族の大陰謀』に至るまで、高校時代に何百冊というオカルト本を読破した男であるぞ。そんなどこにでも転がっているような霊界話はもう聞きあきた。おばさんは声を荒げ、白装束のすそを真っ黒にしながらホワイトボードになにやら図解して必死に説明しようとするのだが、僕の心にはまったく響いてこない。あるいは僕がにぶいのか。言ってることもだんだん聞きとれなくなってきた。頭を使うのも疲れた。いったいどうしたことか。身体が左右に揺れているような気がする。ぞ……。 「今日のお話はここまでです」 僕は我に返った。居眠りしていたようだ。朝は苦手なのだ。 知ってか知らずか、おばさんは口のはしでニヤリと笑った。 「ま、話だけ聞いてもわからないでしょうから。まずはとりあえず入信していただいて」 えっ。いまなんて言った? 入信? 状況が把握できないうち、アシスタントの信者が僕たち3人のまえに紙切れとボールペンを順番にならべていった。僕は目を疑った。銀行の振込用紙ではないか。ゼロがいっぱいならんでいる。入信費用4万円也。冷たい汗が全身の毛穴から一気にふき出してくるのがわかった。落ちつけ。うろたえるな。――でもうろたえるぞ。 「それではみなさんのお返事を順番にうかがいましょうかね」おばさんは左端の男を見下ろした。「まずあなた。どう? もちろん入信しますよね?」 男は「えっ」と言ったきりうつむき、微動だにしない。間髪を入れず背後の信者どもが男を取り囲み、「ね、入りましょう」「いっしょに浄霊しましょうよ」と笑顔で説得をはじめた。まるで弱った羽虫にたかるアリの群れだ。あああ。かわいそうに。 「じゃああなたは? あなたは入りますよね?」 次に声をかけられた真ん中の男も、肩を震わせ、口の中でモゴモゴと何か言ったきり、やはりアリどもの餌食になった。こりゃまたかわいそう。 そして僕の番になった。 「あなたは? 入信するでしょう?」 一番目に声をかけられていたら、僕もとっさに返事ができなかっただろう。だが3番目だったことが幸いした。自分の中にも関西人の気質が根づいているということに僕はこのときはじめて気づいた。ひとり目、ふたり目があんな状態だから、3人目の僕はここで「オチ」を言わなきゃならないと、半分寝ぼけた意識の中でそう思ったのだ。 僕は右手のひらをおばさんの鼻先に突き出した。まるで手かざしのポーズみたいに。そして広間に響く大きな声で、こう言った。 「僕は入りません」 僕はというと薄笑いすらうかべていた。次の瞬間、手かざしおねえさんはじめ応援部隊が背後に扇形にならんで僕を包囲し、戦闘のフォーメーションを組んだ。おばさんは鼻で笑い返し、僕を見下ろした。 「あらどうしてでしょう。今日の話はむずかしくてピンとこなかったかもしれないけどね、入信してよかったと思う日がいつか必ずきますよ」 こうして無限に続くかと思われる押し問答がはじまった。ただならぬ空気を察知し、他のふたりを説得していた信者もやがて加担した。いつのまにか僕の周りには、10人以上もの信者どもが円陣をつくっていた。10対1。でも負ける気はしない。どうひっくりかえったって入信する気はないのだ。 議論はこじれにこじれた。 一番ひどいと思ったのは連中が僕の先祖のことを持ち出してきたことだ。 「あなたのご先祖様も喜ぶんですよ、あなたに入信してほしいって、ご先祖様もそう願っているのですよ」 そう言われて僕は思わず、死んだひいおじいちゃんを思い出した。ひいおじいちゃんが雲の上でエンジェルスマイルをうかべているようすを想像した。でもすぐにそのイメージを振り払う。死者まで利用するなんで反則ではないかい? 僕は思いつく限りの理由をならべて入信しないわけをあれこれと説明した。すぐに反論が飛んでくる。僕も負けじと対抗する。最後は相対性理論や量子力学まで持ち出し、僕は入信しない理由を無我夢中でならべ立てた。正直屁理屈だ、でもお互い様だ。 「いったい何が言いたいのっ!」白装束のおばさんがついにキレた。「あなたはこれからいったいどうやって生きていくつもりなのっ!」 信者連中はたじろいだ。波がひいていくように静かになった。ふん、キチガイあつかいしたけりゃ勝手にするがいい。僕は打って変わってやさしい口調で言った。 「で、いつになったら僕を帰してくれるんですか? 参考までに言っておきますとね、今日僕がここにきていることは友達に伝えてある。夕方までに連絡がなかったら、友達の知り合いの左翼団体がここに押しかける手はずになっている。それでダメなら京都府警に連絡を入れるでしょうね。あなた、監禁罪で捕まりますよ?」 おばさんはなんだか悲しそうな表情になり、大きくため息をついた。 「……いくら議論してもラチがあかないみたいですし。今日のところはお引取りいただいて……。あなた、ときどきこの方のところへようすを見にいってあげてください。ね」 手かざしおねえさんはうなずいた。僕は立ち上がった。信者どもが道を空ける。僕はほったらかしにされていた残りのふたりのもとに歩み寄り、いっしょに帰りましょうと誘った。しかしふたりはすっかり生気を吸い尽くされて岩みたいにこり固まっているし、信者たちも「もうかんべんしてください」と苦笑いをうかべているので、僕はあきらめて広間を出た。 広間を出ると、騒ぎが聞こえていたのだろう、信者百人がふすまの前にむらがっていた。目という目がいっせいに僕を見た。マネキン人形みたいな百人の笑顔から、次々に言葉がもれた。 「なんで入信しないんですか?」 僕はひとりひとりにひきつった笑いをかえし、人ごみを押しのけてすすんだ。最後にもう一回お祈りを受けて帰ったら?と手かざしおねえさんが弱々しく言ったが、僕はそれもことわり、ひとりで支部をあとにした。 僕は思ってみる、これで小林君に自慢できる武勇伝ができたぞ、と。でも心の片隅に何かがへばりついている。得体の知れないわだかまりが消えないのだ。 入信を拒否したのは僕だ。でもなんだか、教団の側から逆に「こんな人いらない」とつまはじきにされたような気分でならなかった。あるいは僕は。あるいは僕は、本当はあの宗教団体の一員に加わりたかったのではないか? はたから見る限り、信者たちはみな楽しそうだった。連中の言うことはたぶんまちがっていない、入信すればそれなりに「幸せ」になれるのだろう。5年前の僕なら入信してしまっていたかもしれない。でもいまの僕にはそれができないのだ。僕は賢くなりすぎた。子どもだましの「真理」では、僕はもはや満足できないのだ。 結局、連中も求道者なんかではなかった。社会に生きている普通の人間どもと何も変わらなかった、理工学部のオタクどもといっしょだった。みんな何かを信じ、それを疑うこともせず、のうのうと生きている。いや、自分が何かを信じているという事実にすら気づかず、家畜のブタみたいに何も考えずに生きている。 僕には信じられるものなど何ひとつなかった。 この世に信じるに値するものなど、ひとつとして存在しないことを僕は知っていた。だからこそ僕は、自分ひとりの力で「宇宙の真理」を究明しようとしているのだった。 それ以外にいったいどんな生きる意味があるというのだ? |
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