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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」 |
30.図書館に追いやられるの巻しかしともかくこの事件をさかいに、僕の部屋には静けさがもどった。それでも手かざしおねえさんは、偶然とおりがかったようなそぶりでときどきドアのチャイムを鳴らした。そして変わり映えのしないお祈りの儀式をシステマティックにこなしては帰っていくのだった。 「また支部に遊びにこない?」 彼女は毎回同じセリフをくりかえす。まるであいさつでもするかのように。僕は首をよこにふる。彼女は「そう」とため息まじりにつぶやき、さすがにそれ以上勧誘しようとはしなかった。彼女がやってくるペースは3日に一度になり、やがて数週間に一度になった。 それでもしょうこりもなく、熱烈な勧誘攻撃をやめようとしないやつがいた。森崎というこの男、もともとは手かざしおねえさんの応援部隊のひとりだったのが、いつしか単独で僕のアパートに足を運んでくるようになった。偶然か必然か、僕と同じ大学、同じ学部に籍をおいていて、でもやけにおっさんくさいと思っていたら、もう何回も留年しているとのことだった。 「俺たちといっしょに世界の理想郷を築かないか!」 とまあこんな調子で、兄貴ぶり、汗臭い体臭を部屋中にまきちらしながら熱弁をふるうのでたまったもんじゃない。ある晩、僕はアパートの階段の下で彼を呼び止め、こんこんと説明してやった。なに、これまで手かざしおねえさんに説いてきたのと同じことだ。君たちの信仰の自由は存在する、君がどんな宗教に属しようが知ったことじゃないし、それで君が幸せならばそれでいい。でも僕には僕のやりかたがある、君たちの信仰を尊重する以上、僕のやりかたも尊重してくれ。 森崎はひとりで考えこんでいるようすだったが、やがて僕の目をまっすぐに見て、静かにこう答えた。 「わかった」 僕は思わず彼の肩をだいてやりたくなった。さすが男だ、話がわかる。手かざしおねえさんにはあれほど説明しても何ひとつ伝わらなかったのに。女性蔑視をするつもりはさらさらないが、男同士だとこうもすんなり理屈がとおる。 そして彼もこなくなった。やれやれ、これで一見落着だ。誰もいなくなった部屋を見わたして僕は思った。これでようやく自分本来の生活にもどれるというわけだ――。だが僕はすぐに自問する。『自分本来の生活』っていったいなんだ? 僕の大学生活、まだなにもはじまっていないじゃないか。僕の人生も然り、偉大な科学者になるというサクセスストーリーも、まだ一歩も踏み出せていないではないか。すべてこれからなのだ。 大学にはちゃんと行っていた。週に1日か2日は、気まぐれで、というか朝起きられなくてサボることもあった。でもあんな三流大学のために青春の貴重な時間をすり減らす必要なんてまったくないのだ。1日おきくらいでちょうどいいのだ。 でも大学に行ったところで講義に出る気にはなれない。学生どもの吐く息で湿っけた教室、汗と油でツルツルに光ったかたい椅子にすわり、仏頂面したじいさんが無味乾燥に進めていく高校さんすうレベルの講義を90分間もきき続けるなんて、考えただけでもゾッとする。理工学部の男どもはまるで生けるシカバネだし、社会学部の連中はもはや内輪だけの仲良しグループを結成し、入り込む余地もない。僕はまるで、どこに行っても迫害を受けさまよい続ける流浪の民ユダヤ人のようではないか。 結果的に、僕は1日の大半を大学図書館ですごした。むずかしそうな学術書を選んでは片っぱしから開いていった。正直なところほとんど理解できなかったが、何もしないよりはましだ。バイト明けで疲れた日は、図書館の喫煙コーナーが僕のひとときの寝床となった。合理性を追求した味も素っ気もない現代建築、おカタい学術書しかおいていないところがたまに傷だったが、ここが僕にとっての数少ない安らぎの場であることに変わりはない。こうして僕は、大学の連中に、いや全世界の人類に、一泡ふかせてやるチャンスをじっと待っていた。 その日、僕はひさしぶりに大学食堂の2階をおとずれた。そこでは社会学部の連中が馬鹿話をしながら、無限に続くかと思われる時間を無駄に費やしているはずだった。階段をあがると果たして連中はいた。阿片窟のごとくもうもうとたちこめる煙の中、ドロンと濁った瞳が僕を見た。ああ。君たち、最初はもっと見込みのある連中だと思っていたが、それは僕の期待ちがいだったのか。こんな調子で大学4年間をやりすごすつもりなのか。でも僕はそんなことはいっさい口にせず、さわやかな笑顔をつくって連中に近づいていった。 ここにきたのはわけがあった。最新の「武勇伝」を聞かせにきたのだ。だんだん影が薄くなってきた僕という存在をアピールし、地位を挽回しようという試みだ。僕は空いていたソファにふんぞりかえってすわり、煙草をふかし、そしてタイミングを見計らってゆっくりと話しはじめた。例の宗教団体との騒動記だ。 これが見事にウケた。春風に吹かれ霧が晴れるように連中の眼が輝き出した。身を乗り出して僕の話に聞き入り、そして最後は大爆笑のうずがまきおこった。そんなに娯楽に飢えていたのか。ともかく、これで僕の偉大さが証明されたわけだ。ね、僕がいると楽しいでしょう、僕がいるとおもしろいでしょう。最近ちょっと疎遠になってたけど、僕たちはやっぱり仲間なのだ。ね、そうでしょう。 だが気がつくと話題はすでに変わっていた。僕にはわからない社会学部の内輪話になっている。何度か話に食いこもうとタイミングをはかってみたが、凍りついた笑顔を浮かべ、眼だけ動かして連中の話を追うのがせいいっぱい、もはや一言も口をはさめない。 僕は自分が持っている「欠陥」にうすうす気づきはじめていた。いまにはじまったことではないが、いわゆる無駄話ができないのだ。話したいことなら話せる。僕だってときには、どうでもいいことを口にすることだってある。でもそんなどうでもいいことを何時間も話しつづける気力も体力もない。3分でバテる。馬鹿らしくなる。連中にとってはそれは重要な会話なのかもしれない。あるいは心の中では馬鹿らしいと思いながら、口だけ自動的に動かしているのか。僕はその場をこっそりとあとにした。 |
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