![]() |
| |ホーム>ひきこもりっくすもくじ|制作者について|掲示板 |
ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」 |
31.避けられるの巻理工学部の校舎に行くと、そこには理工学部の連中がたまっていた。そのあたりまえさ加減に僕はにムカつきすらおぼえる。男どもは中庭のベンチに一列にならんですわっていた。初夏の陽だまりの中、ドロンと濁った瞳を宙に向け、紙コップ片手にお茶飲み話をしているその風景は、あたかも老人ホームのそれを見ているかのようだ。 「やあ」 僕は連中を見下ろして言った。ワンテンポおいて連中も顔をあげた。 「なんやヘビー。まだバンダナしてるんかいな」 僕は一瞬まごつく。そう、僕はまだバンダナを巻いて大学に通っていた。これだけははずせない、これは僕のトレードマークなのだ。何か一箇所でも他人とちがったかっこうをしていなければ、大学全体を包み込んでいるこの惰性の泥沼に飲み込まれてしまいそうだった。しかし今日はバンダナのことは関係ない。今日は僕の武勇伝を聞かせにきたのだ。 僕は煙草に火をつけ、何かの儀式みたいに空を仰いで煙を静かに吐き出すと、この数週間に我が身をおそった出来事を淡々と語ってみせた。そのうちひとりでエスカレートし、「宗教団体に監禁されそうになった」と、ちょっと尾ひれをつけて話を終わらせた。 しかし、理工学部どもの反応は冷たかった。 「こわっ」 誰かが一言を発し、それでおしまいだった。まったくウケない。むしろ、あまり関わりたくないと言わんばかりに、僕を避けようとすらしている。これはどうしたことか。僕の説明のしかたがまずかったのか。 そして僕は我にかえる。 そもそもオレはどうして、みんなの注意を惹こうとこんなにも躍起になっているのだ? 連中をあざ笑い、見下しながらも、連中の一員に入れてもらおうとひとり醜い努力をくりひろげている。なぜだ。あるいは僕はさびしいのか、さびしいからか? おかしい。僕がおかしい? 僕はただ、人生とか宇宙とかここに生まれてきた意味とかについて、感動したことをすなおに話し合えるような、そんな仲間がほしいだけだ。こんなことなら、あの宗教団体の信者たちと話をしているほうがよっぽど有意義だぞ。 次の講義が始まった。このままふてくされて、例によって大学図書館にひきこもることもできたが、あまりにもシャクだったのでそのまま連中のあとについていくことにした。友達みたいな顔をして。 それはまだ1回しか出たことのない講義だった。教授は出席をとらなかったし、内容は高校1年生のさんすうにも劣るレベルだったので、最初の1回出ただけで「もう受ける必要はない」と見切りをつけていたのだ。 メガネをかけた中年おやじが教壇にあがった。そうか、あれが教授か。僕はいまさらのように思う。会社ならさしずめ万年係長といったところか。うだつのあがらない顔をしている。お手並み拝見といこうか。 おやじはひょうひょうとした態度で講義をはじめた。黒板に数式を書きなぐる。ほう。2ヶ月もたつとさすがにちょっとは高度なことを教えているようだな。少なくとも高1レベルは脱しているようだ。いや、かろうじて大学レベルには達しているか。それなりにむずかしい。いや、けっこうむずかしい。ふむ、あの記号はなんだ。微分方程式のように見えるが。だんだんわからなくなってきた、いや、最初からよくわかっていない、というかぜんぜんわからんぞ! なんなんだこの高度な授業は! 先生! 先生わかりません! アインシュタインも真っ青の複雑怪奇な公式の総攻撃! 気がつくと講義は終わっていた。 まあいい、と僕は汗をぬぐう。ちょっと甘く見すぎていたようだが、夏期テストまでにはまだ間がある。それまでに追いつけば済む話だ。 すると教授は当然といった表情でぶっきらぼうにこう言った。 「それじゃあいまから出席票を配るから」 出席票? なんじゃそりゃ。説明もないまま、前から紙切れがまわってくる。学生どもは黙って学籍番号と名前を書き、教室を出ていく前に教壇に提出している。僕はすべてを理解した。僕は立ち上がった。教室を去ろうとしている顔見知りの連中の背中をつかまえた。ドアの前に立ちふさがった。 「なんで教えてくれへんかってん!」 思わず声が出た。 「出席とってるならとってるで、なんで教えてくれへんかってん!」 チンメ氏はじめ理工学部どもは、キョトンとした目で僕を見ている。無理もない。わかっている、誰も悪くはない、悪いのは僕自身なのだ。連中を責めてどうなるものでもない。自分の甘さ加減をさらけ出してしまっただけだ。僕は逃げるようにしてその場を去った。いや、文字通り、逃げたのだ。 でもそのまままっすぐアパートに帰るのはあまりにもみじめすぎた。電車にゆられながら、さびれた街並が近づいては遠ざかっていくのをひとり眺めていた。が、唐突に思いたって、僕は途中の駅で降りていた。 そこは琵琶湖の南端に位置する地方都市といったところで、駅前にはいちおうマクドナルドとミスタードーナツとボーリング場、にぎやかなだけのパチンコ屋が数件ならんでいる。でも10分も歩けばとたんに古びた民家の迷路に迷いこみ、僕は山々の奥へと続く細い道をいつのまにか歩いている。 杉の木のてっぺんでカラスが鳴いた。夕暮れがせまるにつれ、山の影はますます真っ黒く、大きくなってくるように見えた。まるで巨大なトンネルに向かって歩いているみたいな気分だ。遠くでかすかに電車の走りすぎる音が聞こえ、ふりかえると大津の町と琵琶湖が見下ろせた。 自分がどこに行こうとしているのか、わかっていた。僕はシュウイチの家に行こうとしていた。 |
| <前 |もくじ| 次> |