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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」

32.打ち明けられるの巻

 シュウイチは、滋賀の山間にあばら家を借りてひとり暮らしていた。大学にはほとんど姿を見せず、たまにバイトにでかけるだけのグウタラ生活をしているようだった。そのくせ社会学部の連中からそれとなく慕われていたのは、きっと彼が持っている独特の空気のせいだろう。突然あそびにいっても彼はいやな顔ひとつせず、かといって歓迎するでもなく、黙って僕を部屋にとおしてくれるのだった。その目つきはまるで達観した書道家のようでもあり、あるいはただ単にボーっとしているだけのようにも見えた。

 夜がだんだんせまってくる。僕の足は自然とシュウイチの家に向かっていた。いやいやちょっと待て、僕は別にシュウイチなんぞに会いたくはないぞ。だってあまりにもシャクではないか。社会学部の連中には相手にされず、理工学部では総スカンを食らい、このままシュウイチの家にいったら、まるで最後のよりどころを求めて逃げてきたみたいであまりにも情けないではないか。話にならない。

 もっと自然に、道端でシュウイチにバッタリでくわす、なんてことは起こらないものか。

 「あっシュウイチ」「おう師匠、こんなところで何してるねん」「シュウイチこそ何してるねん」「まあいい、ここで会ったのも何かの縁、オレんちで酒でも飲むか」「そこまで言うならしかたがない、今夜は酒盛りといこうか」。そうだそうだそうしよう、その作戦でいこう。

 僕はシュウイチ家の近所を意味もなくほっつき歩いた。田んぼのあぜ道、民家を縫う細い路地、そのすみからすみまで歩き回った。しかしそんな都合のいい偶然なんて起こるはずもない。さんざんさまよい歩いて疲れたすえ、気がつくと僕は見慣れたドアの前に立っていた。ためらったあげく呼び鈴を押すと、シュウイチがねぼけた顔をのぞかせた。僕の顔をひとめ見るとそのまま何も言わず、奥の部屋へと姿を消した。「まあ入れよ」の意味だ。なんだ馬鹿らしい、最初からすなおにここにくればよかったのだ。

 それからあとは、いつもと同じことがくりかえされた。シュウイチが酒を出した。僕はスナック菓子をつまんだ。ふたりでテレビゲームをし、深夜映画を見て、僕たちはどうでもいい話を口数少なくしゃべった。ここでは話題を選ぶ必要はない。大学にこないシュウイチは社会学部の内輪の話などあまり知らなかったし、僕は気兼ねなく自分のペースで話すことができた。

「いやはや、シュウイチとは長いつきあいになりそうな気がするよ」

 酔っ払った僕は大げさに言った。すると、それまで薄笑いを浮かべていたシュウイチは急に冷めた目つきになった。

「なんでや」
「なんでって・・・・・・なんとなく、そういう気がするねん」

 僕はなんと答えていいかわからず、適当に答えた。だいたいどうして真正面から投げ返してきたりするのだろう。そういうときは「うん、そうやなあ」とあいまいに答えてくれたらそれでいいのだ。そんな思いをひとり反芻しているうち、酒がまわった僕はいつのまにか眠ってしまった。

 目がさめると昼になっていた。帰ろうとすると、シュウイチはめずらしく駅まで送っていくと言い出した。

 青い空と太陽で、山の木々が深いみどり色に染まっている。風の中にこれまでとちがう香りがあった。わくわくするような香りだ。そうだ、もうすぐ夏がくるのだ。大学生になって最初の夏だ。浪人生として楽しい夏を2回も棒にふった僕としては、夏休みを自由に使えるというただそれだけでじっとしていられない気分になってしまう。なんの予定もない、だが何もすることがないというまさにそのことが、僕の期待感を無限にふくらましていくのである。

「あんなー」

 シュウイチが唐突に口を開いた。僕は自分の空想にひたることで手いっぱいだったので、適当に返事をした。シュウイチはなぜかにやついていた。

「このまえ社会学部のみんながあそびにきてなー」
「うん」
「その中にエリコもおってん」
「うん、それで」

 エリコさん。そういえばそんなやつもいたか。一度みんなしてエリコさんと僕とをくつうけようとしたことがあったか。

「んで、一晩中飲んだり騒いだりしてんけど、朝になってみんな帰ってん。でもエリコだけあとで帰るってゆーから、しばらくふたりで話しててんな」
「ほう」
「そしたらエリコが『彼氏がほしい』って言い出すねん。『誰でもいいから彼氏がほしい』ねんて」

 誰でもいい、とな。じゃあ僕でもいいのか?

「でオレ、冗談半分に『オレでもいいん?』って聞いたら、平然と『うん』って答えよるねん」
「へええ。で、シュウイチはどうするつもりなん」

 僕は立ち止まってきいた。なるほど。昨夜からノドの奥に何かひっかかったようなモノの言いかたをすると思ったら、そういうことか。いちおう僕にことわっておこうという心づかいか。

 シュウイチはとたんにデレデレ感を増した。

「でもなー、エリコは実はあんまりタイプちがうねんな。だからその場では答えださんかってんけどなー」
「つきあったらええやん」

 僕はそっけなく答えた。いや、嫉妬しているわけではない、実際どうでもいいのだ。「誰でもいい」くせに僕じゃないというところがひっかかるが、もうどうでもいいことなのだ。ここは道をゆずって友人を祝福してやろうじゃないか。

 そのあと僕は駅につくまで「つきあったらええやん」をくりかえし、シュウイチはだんだん口数が少なくなり、でもずっとデレデレしたままだった。

 それから数日後、僕の耳にウワサがころがりこんできた。エリコさんに彼氏ができたらしい。ついにこのときがきたか!と思って話をよくよくきくと、相手はシュウイチじゃない。相手はコウヘイだった。

 僕は開いた口がふさがらなかった。いったいどういうロジックでそうなったのだ? 僕とコウヘイで尾崎豊のアルバムを聞いたあの部屋で、ふたりがあんなことこんなことをしているところを僕は想像した。

 大学構内をぶらついていたコウヘイを僕はやっとの思いでつかまえた。

「ほんまか!?」
「なにが」
「エリコさんとつきあうことになったってほんまか!?」
「うーん」
「なんで? どういういきさつでそうなったん!?」
「まあな・・・・・・」

 それ以上問いつめてみたところでラチがあかなかった。コウヘイは数日前のシュウイチと同じくデレデレと笑うばかりだ。その背後には何か血なまぐさい人間関係がひそんでいるのかもしれず、あるいはけっこうサバサバとした取り決めがあったのかもしれなかった。

「ほーん」

 僕は意味不明の言葉を吐いてその場をあとにした。得体の知れない苦笑いがこみあげてきた。エリコさんが「誰でもいい」というのは本心だったようだ。シュウイチでもいいわよ、コウヘイでもいいわよ、か。でも僕じゃダメ。

 侮辱された!と怒ることもできたが、怒る以前に僕は混乱していた。まるで麦茶と思って気の抜けたコーラを飲んだときのような気分だった。いったいなんなんだこれは。そりゃあ僕だって。僕だって「エリコさんでもいい」というくらいの軽い気持ちなのだが。でもその精神を貫き、実行に移すとは。いやそもそも、僕とて真正面からエリコさんにアタックしたわけでもなんでもないのだが。

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