ホームひきこもりっくすもくじ制作者について掲示板

ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」

35.直前対策を拒否されるの巻

 テストまで2週間にせまっていた。だいじょうぶ、時間はたっぷりある。テスト勉強なんぞ3日もあればじゅうぶんだ。それよりも創作活動だ、作詞作曲だ。僕にはわかる、いま自分の中ではとてつもないことが起こりつつある。これまで聴いたこともないような斬新な旋律が無意識の奥底からわき出てくるのだ。神の啓示か悪魔のささやきか。このひらめきをやりすごす手はない。カタチにするのだ、歌にして発表するのだ。宇宙の真理を解明するという目標はひとまずおいといて、いまは歌だ、ギターをかき鳴らせ。

 と、そんないいわけをしながらダラダラすごしているうち、テストまであと1週間になり、気がつくと5日になっていた。3日前になって僕はようやくあわてた。ギターを置いて立ち上がった。教科書はどこだ。前にコピーしたノートはどこにいった。目を通したがさっぱり理解できなかったやつだ。よくよく思えば僕はテスト範囲すらろくに知らないのだった。こうなったら理工学部の連中に直接きいてみるしかない。いや、決して教えを請うわけではない、ただきくだけだ。

 大学では男どもが呆けたような顔をしてベンチにすわっていた。危機感のない連中だな。さて、どうやってきくべきか。さりげなくテスト範囲を聞き出してよしとするべきか。本当は土下座してお願いし、まる3日間僕のために直前対策をしてもらいたいところだが、それは僕のプライドが許さない。テスト範囲を聞くのだって屈辱的な思いなのに。

 結局なんの飾り気もないボクトツな態度で質問すると、連中は、あん?という表情で顔をあげた。

「テスト範囲? どの科目のん?」

 いや、だいたい全科目わからないんですけど。

「数学は微分方程式のところやで。偏微分も」

 うむ、偏微分とはなんぞや。

「電子制御概論はトランジスタのベースエミッタコレクタの計算ができればOKやで」

 トランジスタってあのラジオに入ってるやつか?

「電子計算機概論はフリップフロップのところまでやね」

 なんじゃそら。ファミコンゲームか何かか?

「力学はコリオリの力やっとかなあかんな」

 なに、プルコギ?

 聞けば聞くほど、なにやら意味不明の暗号みたいな返事がかえってくるばかり。僕はついにプライドを捨てた。まわりくどい言葉で、勉強を教えてほしいとそれとなくお願いした。しかし5秒待っても返事がない。6秒目には僕は回れ右をして、連中のもとを去っていた。頼りにならん男どもだ。おまえらなんか。おまえらなんか、第3次世界大戦がきても絶対助けてやらないからな!

 それでも僕は勉強した。ノートのコピーと教科書だけが頼りだ。バイト先のコンビニにもそれを持ち込み、客がいないときには事務室にこもって片っ端から頭につめこんでいった。大は小を兼ねるという言葉もあるぞ。理解できなくともとりあえず全部暗記しておけばなんとかなるはずだ。いまはそれに賭けるしかない。

 そしてテストがはじまった。テストはなんと電卓の持ちこみが許可されていた。それもバーゲンで800円で売っているような普通の電卓じゃなく、「関数電卓」と呼ばれる高級電子計算機である。入学当時に強制的に買わされたものなのだが、その威力を発揮するときがついにきたのだ。この関数電卓、大きさは文庫本程度、細かいボタンが無数にならび、加減乗除はもちろん、富士山ろくにオウム鳴く、サインコサインタンジェント、果ては複素数から2次方程式まで計算できるという007の秘密兵器みたいな代物なのだった。これさえあればどんな問題でも一発でとけるではないか。学生をなめやがって、畜生。

 しかし問題用紙がくばられて僕は愕然とした。なんだこりゃ。そもそも問題文の意味がわからないではないか。どう計算したらいいものか。丸暗記してきた内容も役にたたない。まるでルールもわからないまま大富豪をしているようなものだ。ここはクイーンかキングかはたまたジョーカーか、いったい何を出したらいいものやら。これはもう、偶然に「革命」が起こるのを祈るしかないぞ。

 テストがひとつ終わるたび、理工学部の男どもは教室の片隅にかたまってヒソヒソ話に花を咲かせている。まるで女子高生の集団みたいに。「テストどうやった?」「全然できんかったわー」。どうせそんなところだろう。いつまでも未練たらしくテストの話ばかりするな、馬鹿らしい。

 心の中で尾崎豊ばりに叫んでみる。

「いったいどうしてこんな無駄な勉強に貴重な時間をついやさなきゃならないのだ!?」

 そしてはたと気づく。そんな甘えた愚痴を言っていられるのはせいぜい高校時代までなのだった。なぜなら僕は自らの意志でこの大学にやってきたのだ。科学者になるためである。そして大学でやっている勉強は、科学者になるためには明らかに必要不可欠なものであるはずだ。物理数学のできない科学者なんて聞いたこともない。

 ならば僕はどうしてこんなにもやる気なしなのか? どう考えても僕は悪くない。悪いのはまわりの連中だ、絶対にそうだ。教授どもは学生らを無事に卒業させいい就職先に送り込むことしか眼中になく、学生どもは未来も展望もなく与えられた課題をただ盲目的にこなしていく。こんな缶詰工場みたいな大学で、いったいどうして大きな夢を育むことができようか。「宇宙」「真理」「真実」、そんな崇高な響きをもった言葉を誰ひとり口に出すこともない、科学者になる、なんて声に出して言おうものならさぞかし吹飯もの、とたんにドン・キホーテばりの夢想家あつかいされる。ここは僕のいるべき場所じゃない。

 結論。僕は入る大学をまちがえた。

 テスト終了のチャイムと同時に僕は絶望的な気分にひたり、誰とも話をせずに家に帰って明日のテスト勉強にとりかかる。そして翌日もまた同じことをくりかえす。そんな日々が1週間ばかり続いた。しかしそもそも何を勉強すればいいのかもわからず、何が正解で何がまちがっているのかも見当がつかず、ただ教科書とノートの数式を暗記していくだけ。これでも果たしてテスト勉強と言えるのか?

 ふと顔を上げる。あんなにうるさかったカエルが、ここ数日急に鳴かなくなったことに気づく。机のライトひとつに照らされた部屋、ノートのコピーと教科書と洗濯物とゴミで埋もれた部屋、その片隅でテレビが砂嵐を流している。僕は時計を見た。午前2時を少しまわっている。

 再び砂嵐に目を向ける。見つめているうち、ブラウン管に映し出された細かい粒子がゆっくりと右回りに回転しているように見える。いかん。僕はきっと疲れているんだ。でもなぜか呪いでもかけられたみたいに、ブラウン管から目をはなすことができなかった。そして唐突に、ひとつの言葉が頭の中に浮かび上がってきた。

「さびしい」

 そう、僕は「さびしい」のだ。この感情は怒りでもない、やるせなさでもない、「さびしい」という言葉が一番ふさわしかった。いまにはじまったことではない、僕はずっと前からさびしかったのだ。こんな気持ちにさいなまれるようになったのはいつからだろう。わかちあえる友達でもいれば状況はまったくちがっていただろう。でもあの大学で「仲間」をさがすなんて到底無理な話だ。いまはっきり認めよう、認めてやろう、大学には友達なんて誰もいやしないのだ。――たったひとりをのぞいては。

<前  |もくじ|  次>
ニアゴコム
Copyright© 2005 Jyunichiro Takano All rights reserved.
ホームひきこもりっくすもくじ上にもどる