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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」

36.不気味がられるの巻

 30分後、僕は滋賀県へと続く幹線道路を歩いていた。

 暗闇の中、数十センチ横をダンプのヘッドライトが猛スピードですりぬけていく。そんな状況下にあっても僕はうすら笑いすら浮かべていた。シュウイチのやつ、僕がこんな真夜中にやってきたらきっとびっくりするだろう。まあいい、俺とあいつの仲じゃないか。電車はとっくに走っていない。タクシーを拾う金もない。歩いていけば何時間かかるかわかったものではない。でもきっといい笑い話になる。ボロボロになってやってきた僕を見て、シュウイチならきっと笑って迎え入れてくれるはずだ。

 この道をまっすぐにいけば滋賀県に入れるはずだった。県境の山を越えるのだ。しかし暗すぎて、夜空と山影の区別もつかない。ただ真っ黒な壁が目の前にたちふさがっている。

 気がつくと僕は巨大なインターチェンジのようなところに立っていた。何車線もある道路を、ナトリウム灯のオレンジ色の光がどこまでも照らしていた。おかしい。こんなところはじめてきた。道の反対側に渡りたかったが、どこまで歩いても信号がない。信号のかわりに地下道があった。まるで地獄の底まで続いているような細く長い地下道を歩き、なんとか反対側に出たが、状況は何も変わらない。真っ暗な空とオレンジ色の道路。どこまでもつらなるダンプトラックのテールランプ。はるか遠くに料金所が見える。

「なにやってんだ俺は」

 僕はようやく我にかえり、きた道をひきかえした。

 翌日はテストの最終日だった。まるで泣きはらしたあとのような奇妙な脱力感と開放感があった。別に泣いたおぼえはないのだが。とにかくテストは終わった。夏休みだ。くやんでいてもしかたがない。実家に帰る予定も決まっていなかったので、しばらくは京都で自由気ままな生活を楽しもう。まずはシュウイチの家だ。昨晩の自分はちょっとヘンだった。テスト勉強のしすぎで精神状態がおかしくなっていたのかもしれない。でも今日はだいじょうぶだ。マトモに戻っている。

 僕は駅前の公衆電話から電話をかけた。呼び出し音を聞きながら、改札から吐き出されてくる人ごみを僕は見ていた。テストから開放されたのは僕だけのはずなのに、サラリーマンも女子高生も小学生も、みんな少し浮き足立って歩いているように見えた。10円玉の落ちる音がして、受話器からシュウイチの声がした。

「ただいま留守にしています。御用の方は発信音のあとに・・・・・・」

 なんだ留守録か。どんなメッセージを残そうかと考えているちょうどそのとき、踏切の音が鳴り出した。

 僕は目を閉じた。踏切の音。人々の話し声。靴音。自動車のエンジン音。そんな音たちが、なぜか美しいメロディーのように聞こえてきた。まるでオーケストラのど真ん中に立っているようだ。なんという美しい音色だ。ああ世界は美しい、どうしていままで気がつかなかったんだろう。

 そこで僕はメッセージを入れるかわりに、受話器を踏切にむけた。街の音をひとしきり録音したあとで僕は電話を切り、シュウイチの家にむかうことにした。

 チャイムを鳴らすとドアがわずかに開き、シュウイチが顔をのぞかせた。なんだ。いるんじゃないか。

  シュウイチはなぜか憂鬱げだった。

「あのさあ」
「うん」
「さっき、すんごく不気味なことがあってさあ」
「うん」
「留守電に踏切の音が入っててん」
「ほう」
「そいつ、一言もしゃべらんねん」
「ほう」
「メッセージのかわりに、延々と踏切の音が入ってるねん。もうほんまゾッとしてさあ・・・・・・」
「それ、俺やで」

 シュウイチの返事はなかった。

「いい音色やったやろ?」
「・・・・・・」
「あんましおもろくなかった?」
「・・・・・・」
「あんましおもろくなかった、な。すまん」

 僕は冷蔵庫を開けて缶チューハイを手にした。畳にねころがってテレビを見た。夜になるとテレビゲームをした。シュウイチに何度も話題をふったが、あまり話したくなさそうだった。なんだこいつ、さっきからふさぎこみやがって。さてはテストのデキが悪くて落ち込んでいるのかい? そんなことはさっさと忘れて遊びましょう、楽しみましょう。なんといっても夏休みなのだ。そしていつものごとく、酔っ払ってそのまま眠ってしまった。

 翌朝、僕は風呂を借りた。朝風呂は気持ちのいいもんだ。タオルで頭をふきながら部屋に戻ると、シュウイチは死んだような目つきでワイドショーを見ていた。いったいどうしたというのだ。

「あのさあ」

 シュウイチの声はかすかに震えていた。

「はっきり言うと、ちょっと迷惑やねんな」
「ほう」
「たまにくるぶんにはかまへんねんけど」
「ほう」
「こうもしょっちゅうこられると。なあ。俺には俺の生活があるねん」

 シュウイチは泣き笑いのような表情になって、ようやく僕の目を見た。

「わかった」

 僕は即座にカバンをとった。

「すまんかったな。じゃあまた気がむいたら遊びにくるわ」

 僕は家を出た。駅まで山道を全速力で駆けおりた。電車に飛び乗り、自分の街でおりて、アパートまでやっぱり走って帰った。

 部屋に入るなり、僕はレポート用紙を机にひろげた。ペンをとると同時に、言葉が次から次へとあふれ出してきた。僕は手紙を書いていた。アメリカにひとり留学していった友人に宛てた、長い長い手紙だった。

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