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ひきこもりドキュメント「ひきこもりっくす」 |
37.手紙を書くの巻「菅原殿 ロスの暮らしはどうだい。大学生活はいたって順調。こっちは数日前からカエルが鳴かなくなった。カエルの代わりに、いまは台所の片隅でゴキブリがうごめいている。夏がきたからだろう。あるいは単に僕の部屋が汚いからだろう。しかし不思議なもんだ、あれほど忌み嫌っていたゴキブリどもが、最近はなんともいとおしくすら思えるのだ。「宇宙の真理」をかいまみてしまったいまとなっては、僕にこわいものはなにもない。いや、「僕たちに」というべきか。すなわち、「この世に存在するすべては無意味である!」。すべてが無意味であるならば、人間だろうとゴキブリだろうと大差ない。鈍い光を発して走り回るこいつらを下等動物あつかいして見下すなんて、単なる人間のエゴとは思わんかね。 思えば僕たちのつきあいは長い。小学校1年のときからもう15年がすぎようとしている。あの頃の君は野球が好きなただのやんちゃ坊主で、僕はというといつも照れ笑いを浮かべているただの気弱な少年だった。でもそれから僕は親父につれられ、アメリカ大陸のあちこちを5年間もひきずりまわされることになった。僕たちが再開したのは高校にはいった頃だったか。君は豹変していた。やんちゃ坊主の雰囲気はそのまま、でもその瞳の奥底には共産主義者としての情熱がメラメラと燃えていた。僕は僕で、もうすぐ人類が滅亡すると信じてやまない終末論者になっていて、ノストラダムスの予言を掲載したビラを自分で作って学校中にくばり歩いていた。君がなぜ共産主義者になったのか、僕は知らない。会わないあいだにいろいろあったのだろう。僕もいろいろあったのだよ。アメリカに行っているあいだにね。 まったく異なる思想をもったふたりが、またこうして友人同士となりえたのが不思議といえば不思議だ。だが形こそちがえど、僕たちは共通する何かを追い求めていたのだろう。僕たちはそれぞれの方法で、「宇宙の真理」を探究し続けていたのだ。 君がはじめて「宇宙の真理」について口を開いたあの日のことを僕はいまでもはっきりとおぼえている。高校2年の夏。学校から帰る途中のさびれた駅のホーム。たしか僕は予言の話をしていた。ノストラダムスの予言がいかに的中しているか、人類が滅亡する可能性がいかに高いか、君にとうとうと説明してやっている最中だった。しかし君はさえぎり、周囲に人気がないことを確認してから僕にこっそりと耳打ちした。 「予言なんてやめろ。もっと科学的に真理を追究しろ。いいか、ここだけの話やぞ、オレはいま、『宇宙の真理』を解明しつつある……」 君は語りはじめた。だいたい以下のような話だったと記憶している。 ――我々はなんのために生きているのか。人間だけじゃない、あらゆる生物はなんのために生きるのか。少なくとも、生物はみな「生きるため」に行動しているように見える。食べるのもそう、敵から逃れようとするのもそう。子どもを生んで育てるのだってそうだ。すべての行動はただ生きるため、そして死んだのちも自分の子孫を後世に残すためにある。そういうふうに遺伝子にプログラムされているのだ。なぜだ? なぜ俺たちはこんなにまで生きようとするのだ? はるかむかし、原始地球の海の底で生命は誕生した。はじめはアメーバみたいに単純だった生き物が、30億年かけて人間にまで進化した。これだって不思議だ。なんのために生物は進化するのだ? いったい何をめざして進化しているのだ? ひょっとしたらすべての生命は――俺たち人類も含め――ある「究極の状態」をめざして進んでいるんじゃないのか? そのために生きて、子孫を残して、進化していく。その「究極の状態」にたどりつくのがいつなのかはわからない。5千年後かも数百億年後かもわからない。でもその瞬間、生物の進化は完成する。生物はその役割を果たし終え、そして最後の実をむすぶ。それがいったい何なのか。俺たちはまだ知らない。しかしともかく、その完成の時をめざして俺たちは生きているのだ。それが俺たちの、人類の「生きる意味」なのだ――。 君の大演説を、僕は口をポカンと開けてきいていた。もちろん理解できなかったのではない。そんな宇宙規模のことを考えるやつが自分以外にもいたというのが驚きだったのだ。 もっともいまになって考えると、君のあの説はもろに共産主義だった。共産主義者のいうところの「史的唯物論」そのまんまだ。人間社会は共産主義を目指して進化していく、そして最後は全世界が共産主義になるはずだという、アレね。その考え方を進化論にまで拡張した君の発想は認めよう。しかし君は、僕のことを非科学的だと非難しておきながらむちゃくちゃ宗教くさい考えを主張し出したので、ちょっと滑稽ではあったよ。むしろ予言のビラを学校中に配っている僕のほうがはるかに冷静で、斜にかまえていた。そう、あの頃は……。いまだから言うがね。僕は実は予言なんか信じちゃいなかった。いや、信じていなかったというのは言いすぎかもしれない、でもむしろ願望に近いものだった。ここだけの話、こんな世界なんていっそ滅亡してしまえと、僕は心の奥底で願っていたのだ。だからこそ、人類滅亡なんて予言に惹かれていったのかもしれないね。 どうしてそんなに世界を憎んでいたのか? それはまた次の機会に書こう。なにしろこの僕自身ですら、まだよく内省できていないのだ。 とにかくこれを機に、僕たちは急速に接近していった。千林商店街の喫茶店で、近所の公園のベンチで、煙草をふかしながら僕たちはことあるごとに「宇宙の真理」について議論した。君の共産主義思想と僕のニヒルな思想とが真正面からぶつかり、やがてまったく新しい思想体系としてひとつに融合していった。そして去年の夏、「宇宙の真理」について、僕たちはとりあえずの結論を出した。 「この世に存在するものすべては無意味である!」 僕たちは共同で論文を書いた。100部ばかり自費出版した。その一冊が、いま僕の手元にある。ページをめくると、我ながら喝采をおくりたくなるような痛烈な言葉があちこちにちりばめられている。復習のために要約してみよう。 「宗教なんてウソっぱちである! 神など存在しない! そんなもの、この広い宇宙にひとりぼっちで生きていくのが怖くてしかたがないから、人間の都合で生み出されたフィクションにすぎない! 唯一正しいのは科学である! 科学では事実を真正面から見つめ、まちがった仮説はより正しい仮説へと改良され、永遠に進化していく。都合の悪いことは無視する宗教とはわけがちがう! 『宇宙の真理』に到達できるのは科学だけである!」 「生きるのが美しいなんてウソっぱちである! 人殺しが悪いなんてのもウソっぱちである! モラルなんぞに意味はない! もしも人殺しを奨励する社会があったとしたら、もうとっくの昔に絶滅している。結果的に『人殺しが悪い』と考える人種だけが生き残っているにすぎない! 進化の過程でたまたま首の長いキリンだけが生き残ったのと同じである! 結局、人間にとって都合のいい考えだけを『良い』と思い込んでいるにすぎない!」 「心なんて存在しない! 自分なんてしょせん脳細胞のかたまりにすぎない! 霊魂が存在しないことは科学がすでに証明済みだ! 人間の心なんて結局、脳という肉でできた臓器が作り出しているまぼろしにすぎない!」 僕たちはいちおう科学論文としてアレを書いた。だからこんな暴言めいた口調ではなかったが、本心としてはこう主張したかったのだ。少なくとも僕は。 世の中、自分の人生に意味があると思っている人間があまりにも多すぎる。自分には存在意義がある、生きる意味があると思い込み、逆に自分とはちがう者に対しては容赦なく攻撃する。こっちはカッコよくてあっちはダサイ、これはトレンディーであれは時代遅れ、あいつは有能でこいつは役立たず、私はがんばってるけどあんたはがんばってない、常識と非常識、そんな価値基準にしばられながら人は生きている。おろかだ。自分の信じていることが実は無意味だなんて誰も気づいていない。連中が勝手に信じているぶんにはいい、でも問題は、そうやって価値観をふりまわすことによって必ず傷つく人がいるということなのだ。 戦争を起こすのは決まって人道主義者である。いじめを生み出しているのは実は道徳者ぶった教師である。正義づらした連中に僕は大声で言ってやりたい。おまえらが信じていることなんて実は意味ないのだ! 問題を作っているのはむしろおまえらのほうではないか。この世に生きる意味のあるやつなんて誰もいないのだ! ごく一部の人間をのぞいては。「すべては無意味だ」と理解し、その考えを追求し続けている人間だけが、生きる意味がある。そう、僕たちのことだよ。 君は共産主義者をやめて、アメリカに留学した。 僕は予言なんてものを信じることをやめて、理工学部に入学した。 僕たちはいちおうの結論に達したわけだが、実は心の中にまだ疑問が残っている。果たしてこの世界は本当に無意味なのか。あるいは目に見えないだけで、ひょっとしたら宇宙の片隅に僕たちの生きる意味が隠されているのか。僕は科学者となってその疑問を突き詰めたい。そしてそれこそが、僕にとって、人類にとって、最後に残された仕事だと感じている。 僕が小学校時代をすごしたアメリカに、いま君がいると思うとわくわくする。8月にはそっちに遊びにいく予定だ。まだまだ言いたりないことがたくさんある。サンタモニカのビーチに寝転びながら、「宇宙の真理」について心ゆくまで議論しよう。 1992年夏 日本の京都にて |
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