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北海道ヒッチハイク旅行記 |
第9日:北海道稚内市気がつくと明け方になっていた。 稚内フェリーターミナルのそばの防波堤沿いには、何十ものテントがところ狭しと並んでいる。ライダーたちやチャリダー(自転車旅行者)たちの野宿スポットになっているのだ。 しかしその中でも、ひときわ小さくて安っぽいテント……それが『ヒッチハイカー高野淳―郎』の寝床であった。 僕はテントを出た。 北海道だけあって、朝はさすがに風がつめたい。 公衆便所は『テント村』の住人であふれている。みんながトイレの水で顔をあらったり歯をみがいたりしている。僕もその中にまじって歯をみがく。何日も風呂に入ってなくて頭がかゆいので、トイレの水で強引にシャンプーまでする。テントをたたみ、荷物をまとめ、フェリーターミナルへと向かう。 僕はすべての作業を淡々とこなした。極力何も考えないように。何も考えたくなかった。しかし心の底では一種のやるせなさが増殖し、いまにもあふれ出しそうになっていた。 早く帰りたかった。 大声で泣き叫びたいくらいだった。とにかく1日でも1時間でも早く大阪に帰りたかった。 どうして急に帰りたくなったんだろう? ……やっぱりきのうの礼文島が原因だ。さんざんな目に会って、僕の根性は完全にぶちのめされてしまっていたのだ。きのうと今日とでは、僕はまるで別人のようだった。今日の僕は自分でも情けないほど弱気になっている。 しかしここは日本の最北端。大阪まで直線距離にして1000キロ以上あるのだ。金さえあれば、と思う。金さえあれば今から稚内空港にむかい、飛行機に乗って夕方には大阪に帰れるのに……。でも僕はもう残り7000円ほどしか持っていないのだ。 旅に出るまえ、僕は『とちゅうで金がなくなったら日雇いのバイトでもさがせばいいわぁ』と気楽に考えていた。実際、『北海道にいけば畑仕事のバイトがゴロゴロしていて貧乏旅行者が働いてる』というウワサを聞いていた。 しかしそれは甘い考えだった。畑仕事のバイトなんか簡単にみつかるはずもない。もしもうまいぐあいにバイトがみつかったとしても、肉体労働をする体力も気力も残っていない。果てしなくひろがる畑のまんなかで、掘ったジャガイモを握りしめたままぶったおれるのがオチだ。 これからどうしよう……。 僕はビル内のうす汚れたベンチにすわって考えはじめた。 7000円。小樽からフェリーに乗るにはギリギリの金額だ。これ以上使うわけにはいかない。なるだけ速く、なるだけ効率よく小樽まで帰らなければならない。 しかしヒッチハイクってのはまったくもって計画がたてにくい。運がよければ今日中に小樽までもどれるかもしれないが、ヘタすると4日くらいかかってしまうかもしれない。 ふと、僕はあることを思い出した。 2日前。留萌市からここまで僕をのっけてくれたハタチの3人組……。グラサンかけたにいちゃんとケバイ女の子2人の3人組だ。 はっきりと思い出した。にいちゃんはたしか、2日間礼文島ですごしたあとで、またクルマで札幌までもどると言っていた。つまり今日だ。3人組は今日、礼文島からフェリーでここ稚内にもどってくるはずだ。 そしてにいちゃんは別れ際に『よかったら帰りも乗っていっていいよー』と僕に言ってくれた。 もうこうなったら、そいつらに頼るしかない。きょうはこの稚内のフェリーターミナルで、ひたすら3人組を待つことにしよう。そしてお願いして札幌までのっけてもらおう。連中のことだから、きっと快くOKしてくれるはずだ。そいつらに期待するしか道は残されていないのだ。 僕はベンチにすわってたまま煙草に火をつけた。 長期戦の覚悟はできている。 フェリーターミナルには、礼文島からの船が約2時間ごとにもどってくる。フェリーがはいってくると、ビル内は急に旅行客でいっぱいになる。あの3人組を人ごみの中からうまい具合に見つけ出さなくちゃならない。僕は必死だ。大げさなようだが、僕の『いのち』がかかっているのだ。3人組が帰ってくるのを見逃してしまったら、もう7000円で大阪に帰れる可能性はほとんどゼロになってしまうのだ。 しかしオレって……よく考えたら、きのうもこんなことしてたような気がする。 中西さんはいまごろどこをさまよい歩いているんだろう。きのうは礼文島のフェリーターミナルで半日も待ったのに、結局巡り会えなかった。礼文島にいることはたしかなのだが。 でもひょっとしたら……中西さんも今日中に、礼文島からここにもどってくるかもしれない。 帰ってくる3人組を待ちながら、でも半分無意識のうちに、人ごみの中に中西さんの姿をさがしている自分に気づく。 午前10時。 電話する用事を思い出し、ベンチを離れる。 名古屋でマルコさんからもらった10枚ちかいテレホンカードも、すでに半分以上使い果たしてしまっている。大切に使わないと……。ターミナルビルの外にある電話ボックスに入り、番号を押す。 まず僕は、大阪にいるリッキーに電話をかけた。彼には僕と中西さんとの連絡係をたのんでおいた。ひょっとしたら中西さんから連絡がはいってるかもしれないと思って……。 かすれたような呼び出し音が何回か鳴ったあと、『もしもし?』と眠たそうな声がした。リッキーだ。 「あーもしもしー? オレや。高野や」 あくびをかみ殺したようなリッキーの声。僕は不機嫌に答えた。 「元気なわけないやん」 僕は電話を切った。 電話ボックスの中に立ちつくしたまま考えこむ。 中西さんは少なくともきのうの夜には礼文島にいた。そしてきょうの夕方には稚内の『みつばの家』という民宿か何かにいるという。つまり……きょうのフェリーで礼文島から稚内に帰ってくるつもりらしい。 となると、僕はなおさらこのフェリーターミナルで待つ必要がある。中西さんと3人組の両方を待つのだ。 先に3人組に巡り会えた場合は、そのままクルマにのっけてもらってサッサと札幌まで帰ってしまおう。中西さんには悪いけどこれ以上待つわけにはいかない。 先に中西さんに巡り会えた場合は……その時はその時で、ゆっくり考えることにしよう。 僕にはもう1件、電話をかける用事があった。 『礼文工芸』である。 『ここを訪ねていけばきっともてなしてくれるから』と友達に教えてもらった店である。おとついの夜に礼文島についたとき、僕はさっそく礼文工芸にTELしたのだ。 しかし返ってきたのは、あまりにも冷たい返事だった。『10キロ先にキャンプ場があるからそこに泊まってください』。一晩泊めてくれるどころか、ご飯をごちそうしてくれるつもりもないらしかった。僕はかなりムカついていた。礼文工芸なんかに頼ってここに来たのが間違いだった。 でも、なんのあいさつもないまま、この地を離れるのも気がひけた。いちおう別れのあいさつだけしておこう。僕は礼文工芸の番号を押した。 トゥルルルルルルル。トゥルルルルルガチャ。 「あーもしもしー? 礼文工芸ですが」 ガチャン。 なんだか、僕を責めているのか謝っているのかよくわからん口調で『ゴメンねえ?』と言われた……。やっぱり電話するんじゃなかった。 僕は苦い顔をしたまま、ビル内のベンチに戻った。 壁にとりつけられた映りの悪いテレビがニュースを流している。きょうの稚内は気温が25度まで上昇し、今年一番の暑さになりそうだという。でも大阪や京都の夏を知っている僕にとっては、そんなに暑いとは感じなかった。まだ涼しいほうだ。 しかし……ハラへったな。 金がないのでガマンするしかない。 フェリーターミナルのまえには土産物屋や食堂が並んでいる。看板の文字が見える。『ウニ丼』『いくら丼』『ジンギスカン』『夕張メロン』『カニ』『シャケ』……食べ物の名前ばかりが眼につく。しかしそんな豪華なものをこの僕に食べられるはずがない……! まるで死人のような目つきのまま、3人組が帰ってくるのをひたすら待つ。 午後2時35分。 礼文島からのフェリーの定期便が、稚内のターミナルにまた戻ってきた。 ビル内が急にさわがしくなる。 僕は立ち上がった。これで3つめのフェリーだ。今度こそは乗っているかもしれない……。淡い期待を胸に、ターミナルの玄関に立つ。 すると。 出てきた!!! 2日前に僕をここまでのっけてくれた3人組だ。3人ともなんだか疲れたような顔つきをしていたが、たしかに間違いない。 やった!! これで札幌まで帰れるのだ!! 「待ってたでえ!!!」 僕は喜びいさんで3人のもとに駆け寄った。 でも、なんだか様子がヘンだった。 3人は僕の姿を見ると、急に困ったような顔をした。『あーヘンなやつに会ってしもーた』とでも言いたげな表情である。でも嬉しくてしかたがない僕は、そんなことは気にも止めない。 「悪いけど札幌までのっけてってくれへん?」 にいちゃんは視線を踊らせ、言葉を慎重に選んで言った。 「じつはねえ……ちょっと困るんすよ。急に富良野に立ち寄る用事ができたんで。他にも寄らないといけないところあるし……」 3人は僕を残してさっさと車に乗りこみ、エンジン音とともに走り去っていった。僕は夏の直射日光の下、ずいぶんと長い間、呆然と立ちつくしていた。 もう、どうしようもない。 もう、大阪に帰ることはできない。 僕は途方に暮れた。 ふと、なんの脈略もなく、『おみやげを買おう』と思い立つ。残金は7000円。最初はおみやげを買うのはあきらめようと思っていた。買ったら大阪に帰れなくなる。しかし、最後の頼みの綱だった3人組が僕をおいて行ってしまった以上、どうあがいたって大阪には帰れないのだ。どのみち帰れないのなら、お金を大切に残しておいてもしかたない。 僕はターミナル前のおみやげ屋にフラフラと吸い込まれていった。そして、ワケのわからないみやげものを2000円も買い込んでしまった。 でもよく考えてみたら……大阪に帰れないのならば、おみやげを買うこと自体無意味ではないか? 誰もいなくなったターミナルビルの中、途方に暮れた眼をした僕だけが、ひとりポツンとベンチにすわっている。 ふと、掃除のおっさんが不審そうな顔をして僕をのぞきこむ。 「……フェリーに乗るんですか?」 朝からずっとターミナルにいるので気になっていたんだろう。僕は一言、 「友達を待っているんです」 そっけない口調で答えた。おっさんは『あ、そう』とだけ言うと、また掃除を始める。やりきれなくなった僕は、荷物をまとめてターミナルビルを後にした。 10分後、僕は海が見える防波堤の上にすわりこんでいた。 さっきまで晴れていたのに、急に少し霧が出てきた。午後の太陽が霧のベールを通して輝き、ぼやけた光を目の前の海に投げかけていた。 「僕はこんな日本の最果てで死ぬのか……」 冗談でそんなことを考えてみたりする。でもあながち冗談とも言えないところが怖い。 コンクリートで固められた海岸。行き交う船。汽笛。波の音。潮の香り。かもめ。車のクラクション……。そんなものに囲まれながら、僕はただボーッと海を見ていた。 なんだか怖かった。 目のまえにひろがっている海が怖くてしかたがなかった。 今に始まったことじゃなかった。フェリーに乗った時も、夜の海岸で野宿した時も、海沿いの道をひたすら歩いた時も、礼文島に渡った時も。ずっと海が怖かった。どこまでもひろがっている海を見るのが恐ろしかった。そのくせ、僕は海から目を離すことができなかった。まるでそこに何か重大な意味があるかのように。 ナゼだ? 理由はよくわからない。でもひとつだけ言えることがあった。 海は、『死』というやつと、どことなくイメージが似ているのだ。 僕はとことん悩み始めた。 よく『人生は旅に似ている』と言われる。僕はそんなクサイ言葉がキライだ。でも、やっぱり納得せざえるを得ない部分もある。生きるとは、どこまでも続く大地のうえをひたすらまっすぐ歩き続けるようなもんだ。 でも大地は決して無限ではない。歩き続けていれば、いつかは海にたどりつく。人生が旅に似ているのであれば、人生の終わりは海に似ている。永遠に続くと思っていた大地が突然とぎれ、そこから先は何もない海がどこまでもひろがっているだけだ。 海は無限である。 死と同じく、無にして無限、だ。 僕はいったいなんのために、こんな日本のはじっこまでやってきたんだろう。わざわざこんな海を見るためにやってきたのか?? ……いかん。 どうもイカン。 たぶん心身共に疲れ切っているからだろう。哲学的に悩んでしまう。 じっとしていてもロクなことを考えない。次のフェリーが入港してくるまでまだ時間があるし、しばらく稚内市内を歩くことにしよう……。 僕は立ち上がり、荷物をターミナルビルに残して、アテもなくふらふらと歩き始めた。 今から思うと、あの時の僕は相当ヤバイ状態におちいっていた。寝不足と疲労は限界に達していたし、きのうから何も食べていないのに空腹感はマヒしてしまっていた。おまけにどうやって大阪に戻ったらいいかわからず、絶望しきっていた。 僕はしばらく、稚内市内をさまよい歩いたが、ふと、なんの理由もなく『山に登ろう』と思い立つ。稚内市は小高い山に面していて、地図によると山頂には『稚内公園』があるらしい。フェリーターミナルからも、山の上に建っている巨大な記念塔を見ることができた。することもないし、とりあえずそこまで登ってみることにしよう。 しかし、そんなことを考えた僕がまちがっていた。 山は想像以上に高くけわしく、上まで登るだけで40分もかかってしまった 。さらに不運なことに、霧はどんどん濃くなる一方で、せっかく山頂まで登ったもののまったく景色が見えない。見えるのはどこまでも続く濃霧の海だけだ。 オレってホントについてない……。 2時間かけて戻ってきた僕は、再びフェリーターミナルの薄汚れたベンチにいた。 いつのまにか夕方になっている。 もう疲れて動けない。 耐えきれなくなって、近くのコンビニに行って安い弁当とおにぎりを買ってくる。ターミナルビルのベンチに戻り、テレビを呆然と見つめながらガツガツと食らいつく。 残金は……あと3000円くらいか? これからどうしよう。考えることと言ったらそれだけである。どうしよう。中西さんとはいまだに巡り会えないし。なんとかお金を作れないだろうか。カメラを売ったら5000円くらいになるか? でもだーれも買ってくれへんやろな……。ギターがあれば、と思う。ギターさえあれば、路上で歌を唄って金をかせぐことができる。昔、京都に下宿してたときに、毎日ギタを持って三条の路上で歌を唄い、それだけで2週間喰いつないだことがあったっけな……。 考えがぜんぜんまとまらない。とりとめのない想いが次々に頭に浮かんでは消えてゆく。過去のなにげない思い出たちと、これからどうしようという未来への不安とがゴッチャになって意識に昇ってくる。走馬燈を見ているような気分だ。 どこか遠くで歌が聞こえる。 『……あいつはいまごろ幸せそな顔 カニ売りの屋台から大音量で流れてくるその下手な歌には聞きおぼえがあった。数年前のヒット曲・・・H Jungle with t の『Going Going Home』だ。 『Going going going home ふと、なんの脈略もなく、大阪に置いてきたユミちゃんのことを思い出す。僕のことを果たして心配してくれてるんかどうか知らんが。とにかく会いたいと思った。こんなところでくたばるわけにはいかない。なんとしてでも……何日かかってでも、大阪に帰らなければならない。たとえ這ってでも大阪に戻りついてやる。 やがて急速に夜になった。 午後7時30分。礼文島からの最終フェリーが稚内港に入ってきた。しかしあたりはすでに真っ暗なうえ、霧が濃いので何もみえない。フェリーにとりつけられたサーチライトの光がかろうじて判別できるだけだ。真っ暗な中を、汽笛の音だけがゆっくりと近づいてくる。 中西さんはこの船に乗っているはずだ。乗っていないはずがない。僕はきょう一日中、ずっとターミナルで待ち続けていたのだ。でもいまのところまだ再会できていないということは、この最終便に乗っていると考えるしかない。 長い時間をかけてフェリーの接岸作業がおわり、タラップがとりつけられる。乗降口がゆっくりと開き、乗客がひとりふたりと降りてくる。 僕はタラップの横に立って、中西さんが降りてくるのをひたすら待っていた。もしも再会できていたならば、文字どおり泣いて抱き合っていたかもしれない。 しかし……。 中西さんの姿はなかった。 最後の乗客が降り、船員が船の掃除を始めても、僕はまだその場に立ち尽くしていた。 信じられない。きょう一日中待っていたのに。どこかで入れ違ってしまったのか? ひょっとしたら中西さんは、もうすでにこの稚内に到着しているのか?? 最後ののぞみは大阪の友人・リッキーから聞いた伝言だった。中西さんはきょうの夕方に「稚内市内の『みつばの家』で待ってる」と言っていたらしい。こうなったらその『みつばの家』とやらを探すしかない。 僕は近くの電話ボックスへと向かった。 電話帳で『民宿・旅館』のページを探す。しかし、必死にページをめくって探しまくったあげく、呆然とするしかなかった。『民宿・旅館』のページがきれいにやぶりとられているのだ。きっと心無い旅行者が自分勝手な都合でちぎっていったんだろう……。 僕はふらふらと市内を歩きまわり、別の電話ボックスをさがす。そして同じように電話帳のページをめくる。……するとまた同じことがおこった。『民宿・旅館』のページがない!! やっぱりきれいにやぶりとられている!! そんなことが3回も4回もつづき、僕はかなりむかついていた。マナーの悪い旅行者のなんと多いことか! 僕はあきらめて、104の案内サービスの番号を押した。 しばらくして、 「はい、こちらは電話番号案内サービス……」 電話交換手の女性のていねいな声が聞こえた。 「あ、あのー、稚内市内の旅館か民宿で「みつばの家」ってのを探してるんですが……」 しばらくの沈黙のあと、受話器のむこうの声はこう言った。 「もしもし? 登録されておりませんが」 ……。 万事休す、だ……。 もうどうしようもなかった。 中西さんに巡り会えれば、なんとかして僕の力になってくれるにちがいなかった。でも、その道も、完全に閉ざされてしまった。 僕は電話ボックスを出ると、夜の稚内をあてもなくさまよい歩いた。歩きまわっているうちに、うまい具合に『みつばの家』を見つけ出せる可能性もわずかにある……。しかし稚内市は広い。こんな広い中から見つけ出せるはずもない。そんな淡い期待に賭けるほど僕は楽天的じゃない。第一、『みつばの家』なるものが本当に存在するかどうかもあやしいもんだ。 稚内駅前の通りを夢遊病者のように歩く。 裏路地には、場末のバーといった感じの薄汚れた飲み屋が軒をつらねている。明りの灯った窓のむこうからは、酔っ払いのグチやすすり泣くような演歌がごちゃ混ぜになって聞こえてくる。 何をのんきに唄ってるねん……。 僕は軽蔑に満ちた心でそれを聞いた。僕にとっては死の淵みたいなこの街にも、やはり暮らしている人はいる。 ひょっとしたら、この街から一歩も出ないまま産まれて死んでいくという人もいるかもしれない。そして夜な夜な場末の居酒屋に足を運び、酒を飲みながら人生の恨み辛みを唄うのだ。 しかし、軽蔑は彼らだけに向けられていたのではなかった。むしろ自分自身に向けられていた。 僕だって同じだ。大阪を離れ、旅に出た。旅に出たのに何ひとつ変わっていない。自分の殻の中に閉じこもっている。自分の周りでくりひろげられる出来事を殻の中から眺め、一喜一憂している。自分という住みかから一歩も外に踏み出せずに生きていく。僕だって同類だ。 こんなにやるせない気持ちになったのはひさしぶりだった。 絶望というのは、まさにこんな気持ちのことを言うのだ。 これが僕の悪いクセだということはわかっていた。 とことん追いつめられると、自分自身どころか全世界が抱えている苦悩をひとりで背負っているような気持ちになってしまうのだ。そして哲学的に行くところまで行ってしまうのだ。 悪いクセだとわかっていてもやめられなかった。 これまでだってやめられなかった……。 …………………………………………………………… ………………ん? ちょっと待てよ……?? 記憶の中に何かがよみがえってきた。そう言えばアレを持ってきていたはずだ。正確に言うと完全に忘れていたわけではない。でも僕はそれを忘れようと努めていた。思い出したくなかった。アレは最後の切り札だ。アレを使うことは僕にとって『敗北宣言』を意味する。 話は出発前日の夜にもどる。 そもそもこの旅の目的は、『2万円で北海道まで行って帰ってくること』だった。そう中西さんと決めたのだ。もちろんカードも携帯禁止だ。 でも僕は中西さんにはないしょで『念のために少し多めに持っていくか』と、1万5千円多く持っていった。つまり僕は出発時に3万5千円もって出発したわけだ。 でも、さすがにカードを持っていくのはやめることにした。さんざん悩んだのだが……。カードなんか持っていったら旅の意味がなくなる。僕は思いきって、財布にあったカード類を全部ぬきとった。 でもたしか……。 出発の朝になってやっぱり心配になって、カードを1枚だけリュックの片すみに入れたような気がしないでもない……。 僕は背負っていたリュックをおろした。ダメだ。アレを使ってはいけない。心の中でもう一人の僕が叫んだ。でも身体は勝手に動いていた。道の真ん中で、リュックの中の荷物を全部ひっくり返した。 そして数分後……。 あった。リュックのサイドポケットのさらに中にある小さなポケット。メモ帳の間にはさまれた健康保険証のコピー。さらにそのあいだにはさんであった。住友銀行のキャッシュカード。 幸い、折れ曲がってはいない。 折れていたら本当に一貫の終わりだった。 僕が貯金なんかしてるはずがない。残高はゼロ。でも、親に金を振り込んでもらうことはできる。 僕は稚内駅前の電話ボックスに入った。 旅に出てから数回目の電話を自宅にいれる。 呼び出し音が何回か鳴ったあと、『はい、高野です』聞き慣れた女性の声がした。 母だ。 「もしもし? 僕……」 陽気な声が返ってきた。 「稚内……」 一瞬の間をおいて、母ははじけるようにゲラゲラと笑った。 「そんなにたいへんなんやったら、さっさと帰ってきなさい」 さすがに『いま3000円しかない』と言う勇気はなかった。よけいな心配はかけたくない。それに僕は、『お金を振り込んでくれ』となかなか言い出せないでいた。リュックとテントをかついで格好良く家を出てきたのに、結局最後には親の金に頼らざるをえない自分がたまらなく情けなかった。 しかし、ほかに方法はなかった。しばらくためらったあと、僕は思い切って言った。 「実は……ちょっとお願いがある」 しばらくの沈黙。表示されているテレカの度数が、見る見るうちに減っていく。 1分ほどして、 「あったで。住友銀行の通帳でしょ?」 母はいつのまにか怒ったような、それでいて泣き出しそうな声になっていた。 「うん……すまん」 僕は最後にそう言うと、電話を切った。 旅は終わった、と僕は思った。実際にはまだ帰りのヒッチハイクが残っている。大阪まで何日かかるかわからない。でも僕は負けたのだ。『旅の所持金2万円』というルールも破ったし、中西さんにも再会できなかった。あげくの果てに、親に金の工面をしてもらう始末だ。これが負けでなかったらなんだと言うのだ。 大阪に帰ろう。 しっぽを巻いて逃げ帰ろう。 夜は更けていた。通りに人影はなかった。僕はテントを張るため、静まり返った街を防波堤へと歩いた。 |
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