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北海道ヒッチハイク旅行記 |
第11日:北海道小樽市「すみません」 「あのーすみません」 その声はくりかえした。僕はようやく気がついて眼を開けた。 いつのまに眠りこんでしまったんだろう。見上げると無表情な男がふたりつっ立っている。ターミナルビルの係員らしい。 「あのーとりあえず午前3時までターミナルを閉めますので、それまで外でお待ちいただけますか」 係員は立ち去っていった。腕時計を見る。針はちょうど12時をさしていた。ほとんどの照明はすでに切られていて、ビルの中は真っ暗になっている。さっきまで人ごみであふれていたのに、いまは死んだように静まりかえっている。 僕はあわてた。もっとここで寝ていたい気分だがしかたがない。外に出ることにするか。 僕は立ち上がった。……しかし次の瞬間、ひざがガクッとなって大理石のフロアに崩れ落ちた。 足が……足が動かない!? ひざにまったく力が入らないのだ。遠くから係員の怪訝な視線を感じる。僕はパニックになって再び立ち上がろうとした。しかし立ち上がった瞬間、僕は再び前のめりに倒れた。立ってはころび、立ってはころびを3、4回くりかえした。最後はなんとか立ち上がることができたものの、足がなかなか前に進まない。それに頭がクラクラする。めまいのせいで、フロアも天井もみな回転して見えた。重いリュックをかつぎ、すり足でのろのろと歩く。長い時間をかけて僕はようやくターミナルビルの外に出ることができた。 僕はどうやら自分で思っている以上に疲れているらしい。 ターミナルビルの裏口へとむかう。午前3時より裏口でキャンセル待ちの受付を始めるからだ。 裏口には、僕と同じようにフェリーに乗れなかった貧乏旅行者たちがあふれかえっていた。50人くらいいるだろう。屋根のあるせまいスペースに、みんな身体を寄せ合うようにしてじっとしている。僕もその中にまぎれこんで腰をおろす。 煙草に火をつける。あたりは真っ暗で何も見えず、やはり目に見えない霧雨がいつのまにか僕の身体を濡らした。寒い。これでも夏か。リュックからジャンパーを取り出して着る。こいつは雨の中をヒッチハイクしたときも役に立った。父から借りたジャンパーだ。 出発前夜、旅のしたくをしている僕の部屋に突然父がやってきた。 「おい淳一郎、コレ持っていけコレ」 ぶっきらぼうにそう言って、クシャクシャになったビニールジャンパーを僕に放り投げた。 「なにコレ?」 しかたなしにリュックにつめこんできたジャンパーだったが、持って来て正解だったといまになって思う。 近くにすわっていた、僕と同年代の男となにげなく世間話をする。名前を戸部くんと言った。いろいろと聞いているうち、僕と同じ大学の法学部に通っているということが判明する。世界はせまい。 戸部くんは豪快な口調で言った。 「僕はバイクに乗ってあちこちをウロウロしてきたんですよー」 世間話をしたり煙草をふかしたりして、午前3時がくるのを待つ。冷気が僕の残り少ない体力を少しずつ吸い取っていく。 もうこれで限界かと観念し始めた頃、ターミナルビルの裏口にようやく明りが灯った。係員が出てきてカギを開ける。 「それではキャンセル待ちのかたは、並んでカウンタまでお進みください」 係員はやっぱり無愛想に言った。旅行者たちはぞろぞろと裏口に入っていく。僕も荷物を背負って裏口に入っていこうとした。 そのときふいに、 「あんた、ちゃんとならんでたんですか」 旅行者のひとり、30歳くらいのにいちゃんにいきなり行く手をさえぎられた。声色が厳しい。 「え? ならんでたってどういうことですか?」 にいちゃんは人ごみを指でたどって線をひいてみせた。 「だから割り込まないように」 そう言ってにいちゃんは裏口に入っていった。 いまさらそんなことを言われても。僕には、旅行者全員が適当にすわりこんでいるようにしか見えなかったのだ。まさか列になってすわっていたとは。最初に教えてくれてもよさそうなものだ。 でも文句を言ってもしかたがなかった。僕はしぶしぶ『列』の最後にまわった。長い列は裏口からターミナルビルの中のカウンターまで続く。カウンターでは係員が、キャンセル待ちの順番を書いた紙切れをひとりひとりに渡していた。 僕のもらった紙切れには『61』と書かれていた。 僕は絶望的な気分になった。キャンセル待ちで乗れる人数なんてしれている。せいぜい30人が限度だろう。僕は、このターミナルビルの中でもう一泊するハメになるのか? カウンターでは口論が始まっている。 数人の旅行者がケンカごしになって、係員に罵声を投げつけている。僕と同じように、次のフェリーに乗れそうもない連中が怒りをあらわにしているのだ。 その理由はさまざまだった。係員の応対が悪い、説明が不十分だ、などなど。僕もその中に入っていっしょに文句を言いたい気分だった。しかし今さらどうしようもないことに腹を立ててもしかたがない。 僕はターミナルのベンチにへたりこんだ。旅に出てから二百何本目かの煙草に火をつけ、煙を力なく吸いこむ。 さきほど知り合った戸部くんが僕を見つけて走り寄ってきた。そして『15』と書かれた紙切れを、僕に見せつけるように高くかざした。満面の笑み。いい気なもんだ。 「ところで僕、これからまたバイクでひとっ走りしてきます」 戸部くんはそう言うと、夜明け前の闇の中へと駆け出していった。元気なやつだ。 僕は再び、夜明けが来るまで眠るとするか。 僕はターミナルビルの2階にあがった。大理石のフロアに寝袋を広げた。 冷たく湿った寝袋の中にもぐりこんだ瞬間、僕は間髪を入れずに深い眠りに落ちていった。 ふと気がつくと、あたりはすっかり明るくなっている。 朝だ。 ターミナルビルの中はさわがしい声であふれていた。眼を開ける。ビル内はいつのまにか旅行者でごったがえしていた。それもいわゆる、家族づれやカップルなどの『普通』の旅行者だ。 僕が眠りについた頃には、貧乏旅行者たちが僕と同じようにあちこちでザコ寝をしていた。ところがみんな僕よりもずっと早く目覚めたらしく、いまやどこにも見当たらない。フロアでひとり寝袋を敷いて寝ている僕はかなり浮いた存在だった。 僕はあわてて寝袋をたたんだ。ビル内のトイレで歯をみがく。そのあとベンチにすわって、リュックの底でつぶれていた板チョコレートとカロリーメイトをかじる。
乗る予定のフェリーは午後5時頃に小樽を出航する。4時からキャンセル待ちの呼びだしをはじめるらしい。乗れない可能性は高いが。 疲れた身体をベンチに横たえて僕は再び眠りにつく。 眼を醒ますとまだ午前10時だ。僕はとにかく疲れていた。眠れば眠るほど、逆に疲れがたまっていくようだ。全身がだるい。ひょっとしたら微熱があるのかもしれなかった。缶ジュースで、念のために持ってきていた風邪薬を流しこむ。気休めだ。 11時から、今日の深夜に出航する敦賀ゆきのフェリーのキャンセル待ちの受け付けをするらしい。 夕方のフェリーには乗れない可能性が高い。いちおう並んでおいたほうがいいだろう。 僕は重い身体を持ち上げてカウンターに向かった。しかしそこにはすでに長蛇の列ができている。結局僕がもらった番号は47番だった。もっとはやくならんでおけばよかった。こういうところ、僕はとことん抜けている。なんだか自分がイヤになってくる。 ベンチにもどって、そなえつけのテレビを呆然と見つめる。 雪かき機のCMが終わり、『笑っていいとも』が始まる。 北海道でも『笑っていいとも』やってるねんな……。 朦朧とした意識の中で、そんなどうでもいいことを考える。とにかく僕は早く大坂に帰りたかった。しかし、あと何日このフェリーターミナルにいればいいのだ? 僕はきのうターミナルビルから、名古屋で晩ごはんをごちそうになったマルコさんに電話した時のことを思い出した。 『いま小樽にいるのん? あたし何年かまえに旅行で小樽に行ったけどね、すごくキレイなところだよー。時間があったら街を歩いてみたら?』 受話器の向こうで、マルコさんはそう言っていた。 そういえば、小樽に来てからまだ一歩もフェリーターミナルの敷地の外に出ていない。時間をもてあましていることだし、ちょっと小樽の街を歩いてみることにするか。ここでじっとしていてもロクなことを考えない。ついでにコンビニで食料を調達してこよう。 僕は自分に鞭打つようにして立ち上がった。いちおう荷物も持って行く。重たいリュックをかついで僕はフェリーターミナルをあとにした。小樽の中心部までけっこう遠い。海と、海沿いに並ぶ倉庫しか見えない殺風景な道をひたすら歩く。空はうすぐもりで蒸し暑い。 街に近づくにつれ、観光旅行客の姿は徐々に多くなった。 運河にかかった橋をわたると、そこはもうにぎやかな都会だった。国道は自動車のエンジン音であふれ、歩道には笑顔を浮かべた家族連れやカップルが巨大なかたまりとなって通りすぎていく。大通り沿いには優雅な工芸品店や、歴史を感じさせる明治大正建築がズラリとならぶ。 僕はコンクリートの橋の上から運河をのぞきこんだ。 これがかの有名な小樽運河か……。 どうしたことだろう、僕はなんの感動もおぼえなかった。逆に、妙な違和感だけがあった。 小樽の街並はたしかにきれいだった。しかしそれがいったい僕となんの関係がある? 僕にとって問題なのは、今夜どこで野宿するか、どうやって空腹を満たすか、どうやって大阪に帰るか、ということだけだった。普通の旅行者としてここに来ていたならば、もっと違う感想を持つことができたのかもしれない。しかし野良犬のような暮らしを10日間も続けていると、やっぱりどうしても感覚が麻痺してしまうのだ。 そう考えると、なんだか自分がひどく場違いなところに来てしまったような気がした。実際、大きなリュックを背負ってふらつきながら歩く僕の姿はかなり浮いていた。 用事をすませたらさっさとフェリーターミナルに戻ろう。僕はまずコンビニをさがして、おにぎりやカップラーメン、ポテトチップを買いこんだ。次に僕は銀行に行っていくらか金をおろした。長期戦になるかもしれない。あと何日ここにいることになるかわからないのだ。適当に入ったみやげもの屋で絵はがきを何枚か買うと、僕はフェリーターミナルに戻ろうと歩き出した。 戻る途中で、さきほど渡った小樽運河に再び通りかかった。 「あのー、写真撮ってくださーい」 いきなり声をかけられて、僕はちょっととまどった。 若いカップルだ。夏休みを利用してやってきたんだろう、女の子の手には使い捨てカメラが握られている。 「あ……はい、いいですよ」 僕がそう答えると、女の子は僕にカメラをわたし、彼氏のところにかけよって腕をくんだ。小樽運河をバックにふたりで仲良くならんで立っているところを僕はファインダーごしにのぞき、シャッターを切った。 「どうもすみませーん」 カップルはそう言って立ち去っていった。 よく見ると、あちこちで同じような光景があった。家族づれが、カップルが、初老の夫婦が、みんな小樽運河をバックに次々に写真をとっては去っていく。 それを見ていると、なんだか僕もここで写真を撮らないといけないような気分になってきた。『小樽に来たからには運河で写真を撮らなければ』。ちょっとした脅迫観念にとりつかれたわけだ。 僕はそのへんを歩いていたおっさんに頼んでカメラを渡した。 「はい、では撮りますよー」 そのおっさんはファインダーをのぞきながら言った。僕は運河をバックにひとりで立った。せいいっぱいの笑顔、とまではいかないが、余裕のある表情を強引に作ってみせたつもりだった。 しかしあとでその写真を見てみると僕の顔は、なんだかシックリこないような、苦笑いのような、とまどいを隠しきれないような、そんなヘンな顔に写っていた。 フェリーターミナルに戻ると僕はベンチにすわって、さっそくおにぎりとポテトチップを食べた。朝からほとんど何も食べていなかったので腹がすいていたのだ。 あしたの朝3時から、次の次の次のフェリーのキャンセル待ちの受付をするといううわさを聞く。念のためにこれも並んでおいたほうがいいだろう。 ビルの裏口に行くと、すでに10人ほどが順番の場所とりをしている。気の長い話だ。僕もいちおう、リュックを置いて場所とりをしておく。でも今朝みたいに、またどこに並んでいたのかわからなくなったらたいへんだ。あんなへまはもうしたくない。僕はスケッチブックを破り、マジックで大きく書いた。 『高野淳―郎のリュック キャンセル待ち12番目』 その紙をリュックに貼りつけた。かなり目立つが、これくらい大ゲサなほうがいいだろう。 午後3時。1隻のフェリーが小樽港に入港してきた。僕はターミナルビルの外に出て、接岸しようとするその巨大な鉄のかたまりを見上げた。あれだ、と僕は思った。きょうの夕方に出航する予定の、舞鶴ゆきのフェリーだ。 でも僕はキャンセル待ち61番目……。たぶん乗れないだろう。いや、でもひょっとしたら? わずかな希望に胸が高鳴る。あとは運命を天にまかせるしかない。どうか乗れますように……。 キャンセル待ちの呼び出しが始まるのは午後4時からだ。それまで、僕は絵ハガキを書くことにした。1枚は名古屋のマルコさんに宛てて。もう1枚はユミちゃんに宛てて。 乗船手続き用紙を記入するためのカウンター。その片隅を借りて、僕はペンを走らせる。 『こんにちは、ようやく小樽までもどってきました。でもフェリーターミナルで足止めをくらっています』……。 ありきたりな言葉でもかまわず書き続ける。このハガキが届くのと僕が家にたどりつくのと、どっちが速いだろう。ペンを走らせながらふと思う。 その時、アナウンスの声がビル内に響きわたった。 「舞鶴ゆきキャンセル待ち、1番から14番までのかた……カウンターまでお越しください」 キャンセル待ちの受付がついに始まったのだ。 「15番から31番までのかた……カウンターまでお越しください」 呼ばれる数字がだんだん大きくなる。少しずつ、緊張が高まってくる。 いつのまにか戻ってきていた戸部くんが笑顔でちかづいてきた。 「やったっ! 僕の番号呼ばれましたよ!!」 戸部君は鼻先でフッと笑うと、エスカレーターを駆け上がっていった。僕はベンチにドカリと腰をおろし、アナウンスの声を聞き続けた。 「31番から42番までのかた……カウンターまでお越しください」 こんなに緊張するとは思わなかった。とにかく落ちつかない。僕は「61」と書かれた紙切れを握りしめた。手がジトジトと汗ばんでくる。脈拍がどんどん早くなり、僕はめまいすら感じた。 「42番から46番までのかた……カウンターまでお越しください」 呼び出しがスタートしてから、すでに30分以上が経過している。なんだか番号が進むペースが落ちてきたような気がしないでもない。 「46番から48番までのかた……カウンターまでお越しください」 あああああ……。61番ってのはやっぱり無理か。今晩もこのフェリーターミナルで野宿か? ほとんどあきらめかけたその時。 「49番から65番までのかた……カウンターまでお越しください」 ……ん? 「49番から65番までのかた……カウンターまでお越しください」 アナウンスはくりかえした。聞きまちがいなんかではない。僕は61番目だ。 つまり。僕はこのフェリーに乗れるということらしい。 僕はベンチから跳び起きた。カウンターまでダッシュした。笑顔があふれて止まらない。ビルの中で踊り出したいくらいだ。 カウンターにならび、61番の番号札と7千円をわたすと、僕は1枚の紙切れをもらった。 舞鶴ゆきのフェリー「らべんだあ」のチケットだ。 この紙切れを手にする時をどれだけ夢見ていたことか……。 僕はビルの裏口に行って、順番待ち用に置いていたリュックをかついだ。得意な気分だった。さっき書いた絵ハガキに切手を貼る。ターミナルビルの外のポストに放りこむ。僕とハガキと、どっちが先に到着するか競争だ。 僕はターミナルビルの最上階にむかった。ビルの最上階から、停泊しているフェリーに向かって、長い通路が伸びているのだ。延々と続くベルトコンベアーがゆっくりと音もなく動く。その上を、乗船する旅行客たちが、どこまでも続く長い列を作っている。 通路の横にならぶ窓から夕日がさしこんでくる。フェリーの乗船口が少しずつ近づいてくる。もうすぐフェリーに乗れる。でも僕はまだ不安だった。フェリーの乗船口で船員に「やっぱりあなたは乗れません」なんて言われたりしないだろうか。そんなことはありえないのだが、妙に疑い深くなってしまっている。 10分ほどかかって、ベルトコンベアーは僕をようやくフェリー乗船口まで運んだ。ゲートの前に係員が突っ立って、無愛想にチケットの確認をしている。僕はおどおどしながらチケットをわたす。 係員はそのチケットをチラリと見るとすばやく破り、半券を僕に突き返した。 つまり僕はこのフェリーに乗ってもいいということだ。 フェリーに乗り込むと、僕はさっそく風呂へと直行した。身体中がかゆかったからだ。もう1週間ほど風呂に入っていないから当然だ。 風呂にいくと、すでに2、3人が身体を洗っている。気の早い連中だ。フェリーはまだ出航していないというのに。僕も同類だが。1週間分の汚れを丹念に洗い落とす。 湯船につかりながら、風呂の窓から外をうかがう。沈んでいく夕日と海が見える。フェリーは、いままさに小樽港を出航しようとしていた。フェリーが緩やかにゆれ、窓の外の風景が静かに動き出す。それと同期して、湯船の水面が大きく波打ち、外へとあふれ出した。 気分は最高だった。 とにかく、これでようやく帰ることができるのだ。 あしたの夜には、フェリーは僕を何事もなく舞鶴まで運んでくれているはずだ。 |
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