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北海道ヒッチハイク旅行記 |
第12日:京都府舞鶴市まるで海底から伝わってくるような低いエンジン音が、とぎれることなく、船内にえんえんと響いている。 目をさますと、あたりはうっすらと明るくなっていた。 僕はフェリー内のすみっこにある『予備室』という名の広い畳部屋にいた。30人くらいの旅行者が毛布をかぶって雑魚寝している。部屋の明りは消えていたが、ドアのすきまからまぶしい朝の光がさしこんでいた。僕は目を細めた。
普通ならば、キャンセル待ち20番くらいまでしかフェリーには乗れない。しかし、きのうは結局、なんと80番くらいまで乗ることができたようだ。フェリーの出航が大幅に遅れてたことが理由のひとつだ。このフェリーは本当ならばきのうの午前中に出航する予定だった。しかし台風のせいで出航は夕方となった。そのため、キャンセルが大量に出たらしい。 そしてもうひとつの理由が、この『予備室』だった。ここは正規の客室ではない。船上で宴会などをするための、文字どおり予備の部屋だ。しかしキャンセル待ちをしている旅行者があまりにも多かったため、急きょ客室として開放することにしたらしい。きのうふと小耳にはさんだウワサによるとそうだ。 僕は洗面用具を持って部屋を出た。 まぶしい。窓からは広大な青空と水平線と、白い波しぶきが見える。人の姿はまだ少ない。トイレに行って顔を洗う。すがすがしい気分だ。そのあと、通路ぞいにならぶ海の見えるソファにすわり、きのう船内の売店で買ったピーナッツの袋を開けてボリボリと食べた。 優雅な気分だった。いまこうしてのんきにソファにすわって海を見ていられるということが信じられなかった。きのうまでのヒッチハイク&テント暮しの日々を思うと無理もない。 やがて船内にアナウンスの声が響きわたる。 「おはようございます。船内レストランの営業をお知らせいたします。午前10時までモーニングセットを各種とりそろえて、みなさまのお越しをお待ちしております。どうぞご利用くださいませ……」 でも僕はピーナッツでじゅうぶんだ。船内のレストランは高いというイメージしかない。レストランへと向かう人たちを横目に、僕はピーナッツばかり食べている。 さて、きょうはこれから何をしようか……。 僕はゆっくりと後方に流れて遠ざかっていく波しぶきを見ながら思った。 フェリーの中は快適だが、とにかくすることがない。船が京都府の舞鶴に到着するきょうの夜まで、ずっとひまなのだ。北海道ゆきのフェリーでもそうだった。話相手はいない。 小樽のフェリーターミナルでは何人かの旅行者と知り合いになった。同じ大学の戸部くんもそうだ。このフェリーに乗っているはずなのに姿を見かけない。フェリーの中というのは意外と広い。それに迷路のように入り組んでいる。 人探しのついでに、フェリーの中を探検してみる。壁にとりつけられている案内図をたよりに、船内を隅から隅まで歩きまわる。でも、それにもすぐに飽きてしまった。結局知り合いには巡り会えないままだ。 昼になる頃には、僕は再びもとのソファに舞い戻って、だらしなくねそべりながら呆然と海を見ていた。 腹がキリキリと痛む。僕はもともと、よく胃痛をおこす。たっぷりと睡眠はとったが、やっぱり身体の奥のほうに疲れがこびりついている。そのせいか。いや、たぶんピーナッツの食べすぎだろう。 胃痛はすぐにおさまった。 ひまをつぶすために、僕は再び風呂に入って身体を洗った。のぼせるほどお湯につかる。 午後3時。 風呂から出た僕は、濡れた髪の毛を手ぬぐいで乱暴にふきながら、フェリーの後部デッキに出た。 後部デッキにはプールがあった。まるで子ども用のプールのように小さくておそまつだ。プールサイドにはヤキソバやカキ氷を売っている売店と、そしてプラスチック製のテーブルがいくつか並んでいる。 僕はテーブルのひとつにつくと、ボロボロになった大学ノートを広げた。 旅に出て以来、僕はずっと日記をつけていた。 しかしこの3日間ほどは何も書いていない。忘れていたわけではなかった。あまりにも疲れすぎていて、日記をつけるどころじゃなかったのだ。 忘れないうちに、この3日分の出来事を書き留めておこう。 ノートの上をペンが滑る。 売店からはサザンオールスターズの『愛の言霊』が流れてくる。 地響きのような低いエンジン音と波しぶきの音がずっと聞こえている。 僕におこった出来事、僕が考えた事たちが、書きなぐりの文字となって、次から次へとノートに染みこんでいく。 「まもなく、本船左側、○×キロメートルのところを、○×ゆきフェリー『××××』号が通過いたします……」 突然のアナウンスに、テーブルにいた何人かの乗客が立ち上がって遠くを見た。僕も目をこらして水平線を見る。 やがて、まるで折り紙でつくったような小さなフェリーが、銀色に光りながら、はるか遠くを驚くほどゆっくりとしたスピードですれ違っていった。 オレも1週間前、あんなふうにフェリーに乗って北海道に向かったんだっけな……。 なつかしく思い出してみる。 なんのまえぶれもなく奇妙な感覚に襲われたのは、そんな時だった。 『このまま旅を終わらせてしまっていいのか??』 僕は突然、そう思った。 僕は突然、そう思った。このまま旅を終わらせてしまっていいのか? どうしてそう思ったのか。自分でもよくわからない。僕は逆に、早く大阪に帰りたいと思っていたはずだ。いまでもそう思っている。さっさと大阪にもどって柔らかい布団の上でゆっくりと休みたい。こんな貧乏旅行、もうコリゴリだ。 でも、そんな思いに逆らうようにして、僕の心の奥のほうで何かが疑問を投げかけてくる。 僕の好きな本に、沢木耕太郎の『深夜特急』というのがある。 この著者は26歳のときに、香港からイギリスのロンドンまで1年ほどかけて旅をした。その体験をもとに書かれたのが『深夜特急』だ。 その本の中で著者は、旅を始めるよりも旅を終わらせるほうがむずかしいとか、そんな意味のことを書いていた。実際、著者はどうやって旅を終わらせるべきか、本の後半になって悩んでいる。 著者のそんな気持ちが、いまになってなんとなくわかったような気がする。僕はたかだか2週間、日本国内をうろついただけだけれど。 わかりやすく言うと、なんだか自分がまったく無意味な旅をしたんじゃないかと、そんな気分になってきたのだ。いや、そんなはずはない。この旅は僕にとって意味があったんだ。そう自分に言い聞かせてみる。でも、いったいどんな意味だ? カッコよくウチを出てきたものの、ただ単に2週間あちこちをさまよい歩いて疲れただけじゃないか。 不安を胸に、得体の知れないものにオドオドとおびえながら、どうでもいいことをウジウジと悩みながら、2週間さまよい歩いただけじゃないか。 結局、こんな旅を始めたこと自体まちがってたんじゃないか? なんと説明していいのかわからないような気持ちだ。 僕はひとりとまどっていた。 たとえるなら、何回確かめても、ひょっとしたら何か忘れ物をしてるんじゃないかと気になってしかたがないとき。それとよく似ている。 この旅のどこかに、何かものすごく大切なものを置き忘れてきたんじゃないか。この旅には実は重大な意味があったのに、僕はそれをすっかり忘れてしまっているんじゃないか? どこかのフェリーターミナルのベンチに置き忘れたまま、思い出せずにいるんじゃないか……? 走り書きで埋まったノートをパラパラとめくってみる。この2週間の出来事を、何度も何度もくりかえし思い起こしてみる。でもいったい何を忘れてしまったのか……。思い当たるようなことは何もない。 やっぱり最初から意味なんかなかったんかな。 立ち上がって、後部デッキの鉄柵ごしにはるか下の海をのぞきこんでみる。 フェリーは僕を着実に家へと運んでいく。僕が望んでいようといなかろうと、きょうの夜には確実に舞鶴の港につく。濃青の海を見ているうちに、なんだか恐ろしいような、やりきれないような感情に襲われた。僕はノートを手にすると、逃げるようにしてフェリーの中へと戻った。 『予備室』に戻る。 到着までもうひと眠りしようと畳に寝転がってみたが、なかなか眠れない。僕はあきらめて起き上がった。 きのう小樽のコンビニで買ったカップラーメンを片手に、船内の自動販売機コーナーに向かう。 自動販売機コーナーといってもけっこう広い。談話室と言ったほうが正しいだろう。僕は給湯室でお湯を借りてカップラーメンを作った。小さなテーブルについてラーメンをすする。 コーナーの片隅にそなえつけられたテレビでは、ちょうどビデオ映画が始まったところだった。ありがちなハリウッド映画。最初はなにげなく見ていたのだが、意外とおもしろくて、気がついたら結局、エンディングまで全部見ていた。 窓の外はいつのまにか夕暮れのオレンジで染まっている。 僕はフェリーの左デッキに出た。 誰もいない。思ったほど風は強くなかった。僕は鉄柵にもたれながら、ずいぶんと長い時間、どこまでも続く海の青と空のオレンジを見ていた。 夕暮れの色は少しずつ暗い色に変わった。それにつれて、海の色も限りなく黒に近づいていく。やがて広い空に星が、ひとつまたひとつと輝きはじめた。 そのあと、船内にもどって日記の続きを書いたり本を読んだりしてヒマをつぶした。僕が再びデッキに出たのは、午後7時をすぎた頃だった。 デッキに出た瞬間、僕は思わず息をのんだ。 なにもかも真っ暗で、もはや空と海の区別がつかなくなっていた。ただそこには、上下左右360度の方向に無限にひろがっている暗闇しかなかった。なんだか、何もない宇宙空間にいきなり放り出されてしまったような錯覚をおぼえた。 そしてその暗黒の宇宙は、数え切れないほどのキラキラと輝くもので満たされていた。 星が見えた。 星でいっぱいだ。北海道では曇っていることが多かったので、こんなにたくさんの星を見るのはひさしぶりだった。星のことはあまりくわしくない。サソリ座だけ、かろうじて識別できる。水平方向には、星よりもわずかに明るい光が無数に見える。たぶん街の灯だろう。陸が近いのだ。 そして真っ暗な海面は、星の光と街の灯とを同時に反射して、キラキラと静かにゆれている。 しかし無限にひろがる暗黒の宇宙の中では、星の光も街の灯も波の反射光も、全部いっしょに見えた。いっしょくたになって全宇宙に満ちあふれていた。そのくせ、どの光も、救いようのないほどに孤独だった。そして、こうして無限の宇宙の中にひとりポツンと取り残されてしまった僕自身も、やっぱり同じように孤独だった。 ……こういうことか。 僕は、さっきから心の奥でうずいていたやるせない感情の原因が、ようやくわかったような気がした。 やっぱり、こういうことなんか……。 僕を乗せたフェリーは、まもなく舞鶴港に到着しようとしていた。 |
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