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北海道ヒッチハイク旅行記 |
あとがき(フリーライター集団「金の鉛筆」に寄せたあとがき) 『北海道ヒッチハイク旅行記』は、僕が1996年に北海道を旅したときのことを綴ったノンフィクションである。旅から戻った直後から書き始め、1年かけて完成させた。当初はパソコン通信仲間に向けて書いた内輪の読み物にすぎなかった。しかし自分のホームページに掲載したことを機に見ず知らずの方々からもご感想のメールをいただくようになり、文章を書く励みになった。 ここ数年はネットから姿を消していたこの旅行記であるが、今回『金の鉛筆』に連載の場をいただき、『復刻』することとなった次第である。感謝します。 連載するにあたり、いくつかの点を書き直した。 この旅行記、もともとは顔文字がこれでもかと言わんばかりに頻出する読み物だったのである(『顔文字文学』と自称していた)。しかしいま読みかえすとさすがに恥ずかしく、顔文字をすべて削除し加筆修正した。また、書いた当時は客観的に見つめられなかった出来事や大げさすぎる記述に対しても、当時のことを思い出して書き直した。しかし文章のタッチや内面描写に対しては手を加えず、そのままにしてある。 作品の良し悪しというものは読み手ひとりひとりがそれぞれに感じ、判断するものである。書いた本人が自分の作品に対してとやかく言っても意味はないと僕は思う。しかしこうして『北海道ヒッチハイク旅行記』を読み直してみると何かがひっかかる。文章の書き方というよりもむしろ、僕の旅の仕方そのものに対する不満と後悔の念がある。 昔、旅行記を読ませたある友人から、カッコつけすぎだと批判を受けたことがあった。そんなことはない、たしかにキザな描写があるが、僕が実際に感じたことをすなおに書いただけなのだからしかたがない。そう反論した記憶がある。しかしあれから7年を経た僕にはわかる気がする。僕はあの旅で、物理的には数千キロの空間移動をした。しかし僕は結局のところ、『僕』という一次元のものさしの上を行ったり来たりしていただけではなかったか。 僕は臆病だった。自分の殻に閉じこもって旅をしていた。世界にじかに触れようとせず、出会った人々や出来事のすべてを自分のものさしの上に乗せてわかったつもりになっていた。だから僕は、旅の途中でひとりでいきがってひとりで悩み、結局最後には自己完結させてしまった。そう思えてならないのだ。 帰路についた僕が悩むシーンがある。『このまま旅を終わらせてしまっていいのか?』。そして、『この旅のどこかに、何かものすごく大切なものを置き忘れてきた』かのようなもどかしさをおぼえる。しかしこれは間違っている。何かを置き忘れてきたのではない。自分の殻に閉じこもっていたせいで、本当は感じるはずのことを何も感じ取ることができなかった。そんな自分自身に対するもどかしさだった。自分の殻を脱ぎ捨てて生身で人々の中に飛び込んでいけば、そこにはもっと数え切れないほどのさまざまな生き方、さまざまな価値観、さまざまな人のぬくもりが満ち満ちていたに違いないのだ。 これは人間の宿命ではある。人はしょせん、自分のものさしを通してでしか他人を理解できない、のかもしれない。しかしそれを飛び越え、出会った世界や人々の心に限りなく近づいていこうと意志するところに旅の意義があるし、文章を書く意義もたぶん同じところにある。そう思えるようになっただけ、僕はあの頃よりも成長したのかもしれない。 旅の後日談をいくつか挙げておく。 まず、いっしょに大阪を出発し、礼文島で再会しようと誓った中西さんはどこへ行ってしまったのか? 大阪に帰り1週間ほどたって中西さんから電話があり、近所のファミリーレストランでひさしぶりの再会を果たした。彼は僕の家に電話するのがこわかったと言った。もしもまだ大阪に帰っていなかったらどうしよう、北海道の原生林で行方不明になっていたりしたら自分にも責任がある、と考えたらしい。最初は礼文島で巡り合えなかったことに対してお互いに不平を感じていたが、旅の土産話ですぐに打ち解けた。 僕と中西さんとは、実は北海道で2回すれ違っている。最初は礼文島、次は稚内で。2回とも場所はフェリーターミナルで、ほんの数分、ほんの数メートルの差で巡り合うに至っていない。おまけに、大阪にいる伝言係から聞いた『民宿みつばの家』も間違っていた。正確には『ライダーハウスみつばちの家』。伝言係が言い間違えたのだ。見つからなくて当然である。もしも彼と巡り合っていれば、僕の旅はいったいどう変わっていたのだろう。想像もできない。 中西さんも途中で金が尽き、同じく親に振り込んでもらったらしいが、彼にとってはそれなりに楽しい旅だったようだ。たまたま通りがかった町で夏祭りの仮装大会に飛び入り出演し、賞をもらったという。人が変われば旅のしかたもこんなに違ってくる。 次にユミちゃんであるが、彼女とはあれ以来一度も会っていない。噂なら2回きいた。ひとつめの噂はヒッチハイク旅行から1年ほどたった頃にきいたもので、大阪に帰ってきてパン屋でバイトしているらしい、というものだった。パン屋!? ユミちゃんはいつも口ぐせのように『パン屋さんになりたい』と乙女チックな夢を語っていた。彼女はその夢を曲がりなりにも実現したのだ。 ふたつめの噂をきいたのはつい先日のことだ。子どもができて結婚することになったらしい。そこにただよういきあたりばったりぶりが、なんとも彼女らしくてよい。 その他、旅先で僕のものさしの上を通り過ぎていった多くの方々。そしてなによりも、旅行記を読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました。しかし僕はこの旅にあまりにも深く関わりすぎてしまったようだ。書く作業を通して、僕は心の中で同じ旅路を何度もたどっている。まるで無限ループに陥っているような錯覚すらおぼえる。いいかげん新しい『旅』を始めるべき時が来たようだ。 2003年12月 |
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